熊本医学教育の功労者、高岡元真
県知事や県立病院関係者の理解と支援に助けられたとはいいながら、ここに高岡元真という人がいなかったら熊本の医学教育は途絶えていたことだろう。だから『肥後醫育史』で山崎正董(やまさき・まさただ)は高岡を「肥後医育史上の功労者」と讃えた。その人となりは「温雅にして品格高く、事に処しては誠愨(せいかく。誠実なこと)、人に対しては懇切にて、何人(なんぴと)もこれに推重(すいちょう。重んずること)せざるものはなかった」と述べている。なお山崎は明治34年に東京帝国大学医科大学から私立熊本医科大学に転任している。高岡が校主であった時であるから、この記述は謦咳に接しての感想であろう。
このあとこの学校は、医師養成機関としては医学専門学校、医科大学と発展し、設立主体は私立から県立、そして官立(国立)へと変わって、現在の熊本大学医学部になっていく。その変革についてはそれぞれの時代を記述するところで触れることになるだろう。
主な参考資料…山崎正董・著『肥後醫育史』、『熊本大学六十年史』、『谷口長雄伝』
(第13話おわり)
執筆者 坂口 幸世
(代々木ゼミナール主幹研究員)