執筆者 坂口 幸世
(代々木ゼミナール主幹研究員)
現在の医学部(医学科、医学類。以下では単に「医学部」と言うことにする)は国立42、公立8、私立29、それに防衛医科大学校の総数80学部ある(2015年6月現在)。国立医学部が半数以上を占めていることから、明治以降の医学教育機関の設置は国立中心に行われてきたかのように考えられやすい。そこから、国立医学部の配置の「西高東低」傾向について、そこに明治以来の政府の隠された意図を読み取りたい誘惑に駆られるかもしれない。
しかし医学教育機関の整備過程はそれほど単純なものではない。それは医学教育学校数の推移を示したグラフを見ても察しはつくだろう。
(注)明治36年以降は大学医学部と医学専門学校のみの校数である。医学部に付属した医学専門部は算入しない。設置されても学生受け入れ以前のものは算入していない。移管・昇格等のあとで旧の学校がしばらく残存した場合があるが、これは算入しない。京都帝国大学福岡医科大学は1大学として計上。防衛医科大学校は国立に含めてある。
明治初期の国立の医学教育機関の数は少ない。その後も戦前期の増加のペースは緩やかなものである。昭和20年[1945]には19の官立学校を数えるが、このうち最初から官立学校として設置されたのは約半数しかない。
公立の学校は2度の設立ブーム(明治前期と昭和中期)があった。しかしブームのあとは激減する。私立は明治初期の大量発生ののちそれらはほとんど消滅し、明治後期にはわずか2校から再スタートし、その校数は徐々にではあるが確実に増加の一途をたどる。設置者の違いによるこうした過程の違いは何なのか。なるべく個別の学校の事情を参照しながら見ていこうとするのがこの「医学部誕生物語」の企図であるが、この「プロローグ」では医学教育機関の設置過程の大まかな見取り図を示しておこうと思う。