医生教習所の貢献度
それではこの「医生教習所」が沖縄の医師養成に大きく貢献した状況を見てみよう。北海道のところで利用した『日本杏林要覧』(明治42年刊)に加えて、大正14年[1925年]の『日本医籍録』を使う。どちらも記載事項がほぼ同様であるからである。沖縄県で医師として登録されていた人々が医師免許をどのような方法で取得したかによって分類した結果が右表である。北海道に比べて「従来開業・履歴」が少ないのは、明治以前に漢方医学すら広まっていなかったことを示している。また学士も少数である。沖縄の医師の半数は「開業試験合格」によって免許所得した人々なのである。
『日本医史学雑誌 第46巻第4号』所載の新垣敏雄著「沖縄医生教習所碑再建について」に教習所の卒業者172名の氏名が掲載されている。この卒業者を上記2書の沖縄県の医師とつきあわせした結果が「開業試験合格」の( )内数字である。上記2書にはないが、他の名簿(例えば『帝国医師名簿 大正8年版』など)の沖縄県に掲載されている医師が他に12名いる。
この当時の沖縄の医師のうちの「開業試験合格」による医師の大部分が、そして沖縄の全医師の過半が「医生教習所」卒業者なのである。