医師不足は明治30年代から
明治21年[1888年]に函館医学講習所が廃止されたあとの北海道の医師養成はどうなったのだろうか。
明治30年[1897年]には道立の札幌医学校設立計画があったが予算がつかずに実現しなかった。明治31年[1898年]には札幌農学校の医科設置計画、明治45年[1912年]には有志医師会による「北海道医学専門学校」設立建議、などがあったが、いずれも立ち消えになり、結局、北海道における医師養成機関設立は大正8年[1919年]の北海道帝国大学医学部設置まで待たねばならない。
明治30年ころから医学校設立への動きが出てくるのは上の表を見れば事情がわかる。
実は北海道では明治中期までの医師数は全国平均並みであつた。人口10万人あたりの医師数は全国平均にほぼ近い。もちろん面積も関係するからこれで十分とは軽々には言えない。それが明治30年を過ぎると、人口増加のペースに医師増加数が追い付かなくなり、医師不足が歴然としてきたのである。