第14話 公立医学校廃止の諸相(3)~青森・岩手・山形の公立医学校~

昭和に再燃する綱引き

弘前の病院は明治21年に廃院となったが、青森の病院は存続した。明治25年に作成された『青森実地明細絵図』には「公立青森病院」が描かれている。この場所には現在「神外科胃腸科医院」がある。公立病院はその後、大正2年に青森市寺町に新築移転して「青森県立病院」となった。そこは現在の青森市中央1丁目で、今は青森市庁舎と日本銀行青森支店の敷地となっている。

時代は下って太平洋戦争中の昭和19年、全国各地で医学専門学校の設立が相次いだが、青森県では官立の医学専門学校を誘致し、青森医学専門学校が設立された。県立病院はその付属病院として官立移管された。翌20年7月、青森市は米軍による空襲を受け、付属病院は焼失した。間もなく終戦となり、旧第五連隊の施設を病院に転用した。

戦前の医学教育機関は、そのまま戦後の新教育制度に移行できたわけではない。GHQ公衆衛生福祉局の指導のもと、文部省による旧制医学専門学校の適格検査が行われ、A級と判定された学校は旧制大学に昇格したのち新制の医学部に移行したが、B級と判定された学校は廃校となったのである。青森医学専門学校は、旧制大学に昇格するにあたって、地元では青森存続案と弘前移転案で県内は二分された。すでに述べた明治時代の医学校の、弘前か青森かの綱引きがまた繰り返されるのである。

しかし昭和22年1月、「青森はB級判定」という情報が入ると、県内一致の気運が出てきて、焼土と化している青森よりは、病院がある弘前に移転する案でなんとかA級判定を獲得しようという方針にまとまった。なおこの「病院」とは弘前市立病院で、明治34年に設立されたものである。前々年に開院した私立の「博愛病院」が陸軍第八師団の軍医を招いて診療していたのだが、開業医らがこれに抗議したため、弘前市が買収して市立としたものである。これが現在の弘前大学医学部付属病院の起源である。

こうして青森医学専門学校は弘前医科大学そして弘前大学医学部となったのだが、その結果青森市には総合病院がなくなってしまった。そこで県立の総合病院が昭和27年に設立された。これが青森県立中央病院で、その場所は現在「青い森公園」である。昭和56年に青森市東造道の現在地に新築移転した。

主な参考資料…『弘前大学医学部三十年史』