Special Interview
杏林大学 医学部 小児外科学教室 講師
渡邉 佳子 氏
わたなべ・よしこ/1996年杏林大学医学部卒業。同大学小児外科学教室に入局後、杏林大学医学部付属病院と東京都済生会中央病院に勤務。杏林大学医学部付属病院小児外科にて2016年より講師を務める。『きらきら研修医』(2007年TBS)、『グッド・ドクター』(2018年フジテレビ)、『PICU 小児集中治療室』(2022年フジテレビ)などのテレビドラマで医療監修・指導を担当。
子どもの「生きる力」を信じて、
医師はできることを何でもするだけ
年間約270件もの手術をこなしながら医療的ケア児の訪問診療を行い、ドラマの監修もする渡邉佳子氏。“スーパードクター”と呼ばれながら、小児外科という領域が持つ難しさと向き合う日々だ。懸命に病気と戦う子どもたちを救いたいという決意の熱量は、学生時代から一貫して変わらない。
母を助けてくれた医師に憧れ
同じ道に進むことを決意
うちはいわゆる医師の家系ではありませんし、子どもの頃の将来の夢は学校の先生でした。そんな私が医師になろうと思ったのは、中学3年生のときです。母がくも膜下出血で倒れ、そのとき治療してくださった脳神経外科医の先生が神さまのように見えたんですね。自分もこういう人になりたい、と憧れました。
親に「大きくなったら医者になりたい」と話したら、「大変なことを言いだした」とびっくりされました。一度、その脳神経外科の先生にお会いして、進路を相談したことがあります。先生は、「医者はそんなにいいものではないよ」とおっしゃったんですが、医師になりたいという気持ちは変わらず、医学部合格を目指して勉強に取り組みました。
私は中高一貫校に通っていたんですが、当時は理系が決して強くない学校でした。推薦で医学部に進学した先輩はいたものの、一般受験して合格した前例はなかったんです。そういう環境でしたから、高校2年生で医学部・薬学部・獣医学部コースを選択したのは学年で3人だけでした。
前年に赴任してきた生物・数学の先生が見かねて、「今のままでは絶対に合格できないから」と授業の後に補習をしてくださいました。高校2年生から3年生の途中までは予備校にも通っています。だけど数学は苦手でしたね。学校ではトップクラスでしたが、予備校ではレベルが違って苦戦しました。
そこからちょっと変わった経歴になるんですが、3年生の途中で父がアメリカに転勤することになったんです。こんな機会は今後あまりないだろうと思って、同行を決めました。担任の先生に進学情報誌などを送っていただきながら、アメリカで独学で受験勉強を続け、年が明けてから入試のために帰国しました。親は国立大学を希望していましたが、「まあ無理だろうな」と思っていたら案の定、不合格でしたね。それでも勉強を続けて、翌年、杏林大学医学部に入学しました。
杏林大学についてはあまり知らなかったのですが、叔父が大学の近くに住んでいて、「いい病院だよ」と背中を押してくれました。そうはいっても、卒業後の進路まで見据えて入学したわけではありません。臨床に関わりたいという気持ちは最初から持っていましたが、6年間の学生生活でゆっくりと具体的なイメージが醸成されていったという感じですね。
学生時代は涙あり、笑いありで楽しかったですよ。人を救いたいという志を同じくする仲間と出会うことができました。テスト前にみんなで勉強して、終わったら打ち上げをして、旅行にも行って。部活は水泳部でしたが、腰を悪くしてからはアイスホッケー部のマネージャーをしていました。アメリカに住んでいたこともあって、アイスホッケーというスポーツを身近に感じ、好きになったんです。まあ、弱小チームでしたけどね。
そんなふうに青春を謳歌していましたが、授業は真面目に出ていました。周りに医師がいない家庭環境だったので、見るもの聞くものすべて知らない世界です。だから勉強を大変だと思うよりも、「こういうことが勉強したかったんだ」という喜びが大きかったです。
もともと子どもが好きだったこともあり、小児外科を専門に選びました。当初から外科系に進みたいと考えていましたが、大学の小児外科の講義が興味深かったこと、担任の教授が小児外科医だったことも選択を後押ししました。日本の大学は、小児外科の講座が独立してあること自体少ないので、その点は非常に幸運でした。
卒業後は杏林大学医学部付属病院の小児外科に入局しました。小児外科は成人の外科もできなければいけないので、2年間は出向して武者修業をしながら、今に至ります。
医師になってから毎日が慌ただしく過ぎていきますが、もう慣れました。まとまった休みがとれるのは年に1週間くらいでしょうか。年末年始も、ローテーションを組んで交代で休めるかどうかです。だからこそオンとオフは切り替えて、休めるときにしっかり休むように心がけています。
休日には、今も親しくしている研修医時代の仲間と年に数回ですが、定期的に集まっています。みんな、専門は内科、婦人科、眼科などバラバラで、勤務先も違いますが、会えばあの頃に戻ったように話が弾みます。苦楽を分かち合った同志ならではですね。あとは、家でゆっくり本を読んだりして過ごすことが気分転換になっています。
また、知らず知らずに免疫がつくのか、どんなに忙しくても風邪一つひきません。新型コロナウイルス感染拡大の頃は、私を含めた常勤医3人が同時に罹患しないように手分けして院内回診を行っていましたが、全員感染せずに済みました。一方で、研修医はけっこうインフルエンザなどで倒れるんですよね。そういうところを見ると、免疫もさることながら、私たちには一人でも欠けたら大変だという緊張感があるおかげで乗り越えることができたのかもしれません。
年間200を越える手術件数
脳、心臓、骨以外はすべて担当
小児外科という領域は、学問的にとても興味深いんです。先天的な病気が多く、例えば腸がつながっていない状態や、お尻の穴がない状態で生まれてくる子もいる。生まれた瞬間から手術が必要なんですね。
対象となる患者さんは新生児から中学生までですが、術後のケアのためにもっと長いお付き合いの方もいらっしゃいます。鼠径(そけい)ヘルニア、臍(へそ)ヘルニアなどの一般外科疾患や、腸閉塞、急性虫垂炎、外傷などの救急疾患が診療の中心で、先天的な疾患、小児がんなどの疾患も診ています。
先ほども少し触れましたが、当院の小児外科の常勤医は私を含めて3人だけです。私は医局長、外来医長、病棟医長を一人で兼任しています。小児外科はどうも人気がなくて、なかなか増員ができないんですよ。少人数なので、術前・術後の管理は基本的に小児科が行い、私たちは外科的処置が必要な段階を担うというように役割を分担しています。
小児外科は、小児の手術全般を行うのが特徴で、成人のように器官別に専門が分かれていないんです。ですから、呼吸器外科、消化器外科、婦人科、泌尿器科、耳鼻咽喉科、形成外科との連携は欠かせません。年間の手術件数はおよそ270件。多い日は6件くらい手術をすることもあります。
私は、脳、心臓、骨以外の手術はすべて担当していますが、どんなに慣れている手術であっても緊張はしますね。これまでで最長の手術時間は12時間でした。
子どもは身体も臓器も小さく、未発達です。なので、私が処置時に加える手の力は、大人の患者さんの場合と比べて2分の1から3分の1くらいだと思います。それくらい、臓器を傷めないよう、やさしく繊細な手技が求められるんですね。でも成人とのいちばん大きな違いは、これから先の長い人生を見越しながら治療を考えなければいけない、というところでしょうか。
臓器が完成されていない状態で手術をして、命は助かったけれども、子どもたちはこの先ずっと疾病と付き合っていかなければならない、というケースはよくあります。進学、就職、結婚と、成長していく過程で、いろいろな壁にぶつかることが、きっとあるんです。
そのとき、悩んだり困ったりした子を支えるのは、手術をした私たちの責任だと思っています。そのまま成人科に移行できない患者さんもいるので、対象年齢である中学を卒業してからも、定期的に来院していただいている患者さんが今、20人くらいいます。
新生児のときに手術して、大人になっていくのをずっと見守ってきた子たちです。多感な年齢に成長した姿を目の前にして、いろいろな話ができることは本当に感慨深く、思わず涙が出てしまうこともあります。