東京大学医学部附属病院 22世紀医療センター
コンピュータ画像診断学/予防医学講座 特任助教
越野 沙織氏 インタビュー

CTの画像はイラストロジックと同じ?

同じ頃、私は「イラストロジック」というゲームに没頭していました。これは、縦と横の数字を手がかりにしてマス目を塗りつぶしていくと、絵や文字が浮かび上がるというパズルゲームです。

あまりに熱中していたので、きっと頭の中が「イラストロジック化」していたと思うのですが、このイラストロジックの絵とCTの画像が重なって感じられたのです。つまり、絵ができる原理は、CTもイラストロジックと同じなのではないか、と。その頃私は、イラストロジックを速く解くための「公式」を見つけていたので、もしかしたらこの公式がCTの画像解析に応用できるのではないかと考えるようになったのです。

もちろん、当時の私はCTの専門書を読んだことはなく、その原理もわかりませんでした。そこで自分のアイデアが正しいかどうか確かめたいと思っていたところ、新聞やNHKのドキュメント番組で四方義啓先生(当時・名城大学理学部教授)を見つけ、研究室を訪ねました。四方先生は数学の域を超えた研究をされ、ノーベル賞候補者にもなられた先生です。先生は私の考えを高く評価してくださり、「その考えは正しいから、研究を続けたほうがいい」と言ってくださったのです。

そこで小学6年の夏休みからは、四方先生の教え子である大学生や大学院生にまざり、毎週違うテーマのサロンに参加させてもらいました。その後も独学で研究を続け、高校1年のときに、「高校生・高専生科学技術チャレンジ(JSEC)」に応募しました。

私の研究テーマは、イラストロジックの公式と数学を用いて、現在のCTの弱点を克服する方法や、より精度が高く、被ばく量の少ないCTを作る方法を証明するというものでした。これが正確な画像診断に結びつく可能性がある、と評価され、最優秀賞をいただきました。そして、翌年アメリカのインディアナ州で行われた「国際学生科学技術フェア(ISEF)」への出場が決まったのです。

ISEFではさらに研究を発展させ、物理実験を用いて証明しました。自分の言葉で研究を伝えたかったので、日々勉強を続けていた英語で、すべて通訳なしで発表や質疑応答をしました。

ここまで一切専門書は読んでいません。あえて専門書を読まなかった理由は、独創性がなくなると思ったからです。どこにも答えがないものを自分の頭で力ずくで考える、というのが私の信念なのです。

会場には、物理、化学、天文学などさまざまな分野のノーベル賞受賞者がいらっしゃったのですが、その先生たちと直接言葉を交わすこともできました。私は数学部門で初の日本代表として参加したのですが、どんな質問をしようか考えて、結局「数学を使ったら、宇宙人と交流できますか?」という変な質問になってしまいました(笑)。それでもある先生が「どの分野でも数学は使う。数学は科学の女王であり、下僕でもある」と答えてくださったのです。突飛な質問にもかかわらず、奥深い意見をいただけて、ノーベル賞がぐっと身近に感じられるようになったものです。

欧米留学を通して日本の恵まれた医療を実感

そんな中、気がつけば大学受験が迫っていました。私の研究をわかってくださる先生と研究環境に出会いたくて、東大の理科三類を志望しました。

ただ、高校1、2年のほとんどを研究とその発表の準備に費やし、他にチャレンジしていたこともあったため、受験勉強はかなり後れをとっていました。そのため、現役では不合格となり、それから上京して一人暮らしをしながら、浪人時代を過ごしました。この時期に集中して勉強したことで、模試ではA判定が出たのですが、本番では7点足りず不合格。浪人は1年しかしないと決めていたので、後期日程で東京医科歯科大学を受験し、無事に合格しました。

もちろん東大に落ちたことはショックでしたが、それをバネに医科歯科大で頑張ろうという気持ちになったのも確かです。医科歯科大は学生を支援するためのプログラムが整っていて、熱心な先生方に少人数制で教えていただくことができ、海外の大学との連携も盛んでした。成績優秀であれば海外の有名大学の医学部に留学できたので、私は大学4年のときにインペリアル・カレッジ・ロンドンの医学部へ、6年のときにはハーバード大学の医学部へ交換留学というかたちで学びに行くことができました。

医科歯科大では私の過去の研究やインペリアルでの研究を高く評価していただき、大学やお世話になった先生方には感謝の気持ちでいっぱいです。そこで得た経験は血となり肉となり、将来の糧となりました。

ハーバード大学の留学時には、ベス・イスラエル・ディコネス・メディカルセンターの神経内科と、ボストン小児病院の放射線科で勉強させていただきました。神経内科では、実際に患者さんの診察もしました。ここでの学びは大きかったのですが、つらかったのはすべての患者さんを診ることはできない、ということです。日本は国民皆保険ですから、等しく医療を受けることができますが、アメリカはそうではありません。

たとえば盲腸で手術をしなくてはならないのに、「あなたは保険に入っていないから手術はできません」と病院に断られてしまう。保険によって受けられる治療が決められてしまうのです。また、入院が長く続くと病院側にコストがかかるので、早く退院させようとします。たとえば鼻の手術をしたら、日本であればその後1週間くらいは入院させて経過を見ますが、アメリカだと1、2日で退院させてしまうのです。

日本人としては、母国を盛り立てていきたいという気持ちがあります。画像診断に関して日本は先進国で、CT、MRIの対人口比の保有率は世界一なんです。それだけ経済的に豊かということもありますが、画像診断に保険がきくということもあると思います。アメリカの病院ではCTを意外に使わないんですよね。その点、日本にはAIに学習させるための画像がたくさんありますし、研究をするには恵まれた環境だと思います。

越野 沙織 氏

10歳の頃の経験が、私の原点。「人生に無駄はない」と思う

私は研究だけでなく、直接患者さんと関わる臨床も大切にしたいという気持ちを持っています。現在は、週に3日が臨床、2日が研究というスケジュールです。研究は何らかの結果を出せば、多くの患者さんを救うことになるかもしれません。一方で、目の前の患者さんが見えなくなるということもあるのです。実際に患者さんがどのような症状を訴えているのか、どのような画像所見があり、どのような血液検査の結果が出ているのか。それらを総合し、臨床医は治療法を決めます。そういったプロセスを抜きにした画像診断は意味がないと思うのです。

画像診断の研究も、いまのところは脳動脈瘤や肺の結節を「見つける」ということが中心です。私がこれからやっていきたいのは「AI診断」です。画像を読み込んだAIが、私たち放射線科医がするように病気を診断する。最終的には、AIによる全身診断が目標です。

10歳頃のお尻の骨の病気は、激痛のため寝返りが打てないほど大変でした。しかし、当時幼いながらも私のように病気に苦しむ患者さんを救いたいと感じました。この経験が、医師を志した私の原点となっています。どんなにつらい状況だとしても、「人生に無駄はない」と思います。

今でも時折、四方先生が小学生の私に言ってくださった言葉を思い出します。
「君のやっていることは、ノーベル賞の2歩手前だから」
子どもの頃に私はそれをうのみにして、ここまでやってきました。今は何歩手前にいるかわかりませんが、医師とはどうあるべきか、どのように患者さんと接するべきか、初心を忘れずに日々精進していきたいと思います。

※本インタビューはSAPIX YOZEMI GROUPが発行している「医学部AtoZ」(2022年7月発刊)に掲載されたものです。