国立成育医療研究センター 救急診療科 医員大西 志麻氏 インタビュー

Special Interview

大西 志麻 氏

国立成育医療研究センター 救急診療科 医員
大西 志麻 氏

東京都出身。2007年筑波大学医学専門学群(現在の医学群)卒業。都立広尾病院小児科、日本医科大学千葉北総病院救命救急センター等を経て、国立成育医療研究センター総合診療部救急診療科医員。日本小児科学会小児科専門医、アメリカ心臓協会BLS(一次救命処置)・PALS(小児二次救命処置)インストラクター。

無我夢中で救ったひとつの命が小児科医としての道標に

もともと子どもが好きだったことから小児科医の道を選んだ大西志麻医師。現在は、国内最高峰の小児・周産期・産科の専門医療施設である国立成育医療研究センターで小児救急医として働く。医師としての進路を決めたきっかけ、子育てと仕事の両立、そして小児科医という仕事の魅力について聞いた。

医師という仕事が「憧れ」から「将来の目標」になった高校時代

医師になりたい。そう明確に考えるようになったのは高校生のときだったと思います。私は小さい頃、骨折したり、虫垂炎になったりと何度か入院したことがあり、病気やケガを治してくれる医師に対して「お医者さんってすごいな」という尊敬の念を抱くようになりました。ただ、その頃はただの憧れに過ぎず、実際に自分が医師になるということまでは考えていませんでした。高校時代、進路を決めるために「将来何をしたいか」を具体的に考えたときに初めて、単なる憧れだった医師という職業が明確な「目標」になったのだと思います。

通っていたのは中高一貫の進学校だったのですが、とても自由な校風で、制服もない、生徒会もない、受験のためのカリキュラムもない、ちょっと変わった学校でした。私は授業中に漫画を読んで感動のあまり号泣し、先生に呆れられるような、あまり真面目とはいえない生徒でしたが、高校生活は楽しかったです。生徒主導で行われる行事も多く、スポーツ大会の実行委員を務めたことや、班ごとに地図を見ながら自分たちでルートを決めて山登りをしたことなどが印象に残っています。

印象的といえば、世界史の授業で1学期の間ずっと「大航海時代」についてだけ勉強し、夏休みに「大航海時代にアフリカからアメリカに奴隷船で運ばれた黒人の子どもたちのストーリーを物語として書きなさい」という宿題が出たこともあります。歴史といえば暗記という印象も強いなかで、かなり独特な授業でした。自分とは異なる時代の異なる状況の子どもに思いをはせ、物語を作るのですから、相当苦労して書いた覚えがあります。当時は気づきませんでしたが、今になってみると、「自ら考え、実践する」という訓練を重ねていたのかな、と思います。

ただ、学校では受験のためのサポートがなかったため、ほとんどの友人は中学から塾に通っていました。私は医学部を目指すようになった高校2年生から塾に通うようにしたのですが、塾に入って初めて、いかに自分がまわりの友人より勉強が遅れているかに気づきました。

もともと、じっと机に向かっているのが嫌いで勉強は苦手。でも、とにかく医師になりたい、医学部に入りたいという一心で勉強しました。まわりにも、医学部やハイレベルな大学を目指す友人が多く、模試の結果が悪いと悔しくて「負けるもんか!」という気持ちで頑張ることができたので、ライバルたちの存在にも刺激されていたと思います。そして、必死に勉強をして筑波大学医学専門学群(現在の医学群)に合格。医師になるための勉強が始まりました。

病気やケガを治すだけでなく、子どもの成長過程のすべてを見守る

医学部に入り、勉強や経験を重ねながら感じたのは、「医師という仕事は思っていたより肉体労働だな」ということ。手術では何時間も立ちっぱなしということもありますし、夜間に働く当直もある。体力が必要だと思いました。加えて、医師は患者さんを選べず、病院に来た人とはどんな相手とも向き合わなければなりません。世の中には本当にさまざまな人がいて、患者さんごとに生活背景もこれまで生きてきた環境もまったく異なるため、一人ひとりとちゃんと向き合うためには精神的なタフさも必要です。そう考えると「打たれ強い人」のほうが医師には向いていると思います。

もともと子どもが好きだったこともあり、漠然と「小児科医がいいかな」と思っていたのですが、研修医としてさまざまな診療科を回るなかで、「循環器内科では心臓」「呼吸器内科では肺」など大人のように臓器別にみるのではなく、「一人の子どもを総合的にみることができる」ことが決め手となり、小児科を選びました。

小児科では、生まれたばかりの0歳児から、体格はほぼ大人と同じになる15歳まで、幅広い年齢の患者さんをみます。病気やケガの治療に加えて、予防接種をして病気を予防したり、健診などで発育・発達を観察したり、心理・精神的なケアをしたりする役割も担います。子どもが元気に育っていく過程のすべてを見守り、サポートする。それが小児科医の仕事であり、魅力でもあると思っています。

一言で小児科といっても、神経の病気、血液の病気、がん、アレルギーなど、さまざまな専門分野があります。そのため、小児科医としての働き方には、例えば小児専門病院でひとつの専門分野に特化した診療を行う道、あるいはクリニックで地域の子どもたちの健康をサポートする道など、さまざまな選択肢があります。

一般的に小児科では、アトピー性皮膚炎や喘息、食物アレルギーなど、アレルギー性疾患をよくみます。医師になった当初は、私もアレルギーを専門にし、地域の子どもたちの成長をのんびり見守ることができるクリニックの医師になろうと考えていました。ところが、進むべき道を考え直す転機が訪れたのです。

小児科で初めて当直となった日に、心肺停止の患者さんが運ばれてきました。心肺蘇生の講習は受けていましたが、いざ患者さんを目の前にするとうまく対応することができません。上司や他科の先生方の力を借りながら必死に蘇生をして、なんとか心臓を動かすことができました。このときの経験から、救急救命についてもっと勉強をしなければと強く感じました。しかしながら、「自分にはあんな仕事はできない」という思いもあり、小児救急の道に進むことまでは考えませんでした。

その数年後、現在の職場である国立成育医療研究センターの救急診療科に、重症患者をみるトレーニングに行かせてもらう機会がありました。そこで偶然にも、初めての当直で心肺蘇生をした患者さんと再会したのです。その子はとても元気な様子で、「あんなに大変な状況だったのに、ちゃんと救命すればこんなに元気になれるのか」と驚き、とても嬉しく感じました。その経験を忘れることができず、救命救急を専門にすることに決め、現在は小児専門病院の救急医として働いています。

自分がどの診療科の医師になるか、そして、診療科のなかで何を専門とするかについては、迷う人もいるでしょう。また、決めていた人でも、やってみたら「何か違う」と思うこともあるかもしれません。

私は、自分が進む方向を急いで決めなくてもいいし、やってみて違うと思ったら方向転換してもいいと思います。実際に、途中で方向転換する医師も多くいますし、私が救急を専門にしようと決めたのは医師になって8年目でした。本気のやる気さえあれば、いつでも「もう遅い」ということはないと思います。