第16話 私立医学校と「医家書生」~私立医学校の興亡 (1) ~

医術開業試験合格者の分類

『中外医事新報』の235号(明治23年1月10日発行)には、前年秋の医術開業試験(後期試験)の受験者の学習履歴別人数が掲載されている。ここに転載する(原文は縦書き、漢数字)。

官報によると、この年の第二回東京医術開業試験は、学科試験は10月、実地試験は11月に行われた。後期試験の志願者は592人だが、途中棄権者が5人いて、合格者は200人とあるから、この『中外医事新報』の調査は東京試験場受験者・合格者の全員が集計されていることがわかる。

ここで開業試験合格者を出している東京の私立医学校は、済生学舎、成医講習所(東京慈恵会医科大学の前身)と、東京医学校・東亜医学校だけである。東亜医学校は明治17年に廃校届が出されているが(東京都『都市紀要十一 東京の理科系大学』)、何らかの形で(届け出がない状態で)存続していたらしい。東京医学校は、この時点では開校したばかりであるので、すでに前期に合格していて後期試験対策のために入学した者が合格したとみられる。あるいは東亜医学校で前期に合格、その後東京医学校で後期対策をしたということなのかもしれない。

「地方医学校学生」とは卒業を目前にして廃校になってしまった公立医学校の生徒のことだろう。海軍軍医学校は、海軍の軍医養成学校だが、医師免許取得のためには医術開業試験に合格することが必要だった。

なお、陸軍は一時軍医養成機関をもっていたが、明治10年(1877年)に廃止されたた。維持経費が嵩むため、自前での医師養成は断念して、東京医学校(東大医学部)卒業者から人材を獲得することに方針転換したのである。また、明治19年(1886年)設置の「陸軍軍医学校」は、すでに医師免許を有する者に軍陣衛生を教授する学校である。

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