官公立医学校行政の朝令暮改
ところで、大阪は官立だが、他は公立である。公立医学校の外国人教師の給与削減分が、官立医学校の教師増員にあてられるというのはどういうことか。
この計画書の直前に発布された「学制」の「学費の事」には次のような記述がある。教育は各人が「身を立てるの財本(もとで)」であるから、その経費は原則として受益者負担とし、授業料だけでは不足する分は寄付金や学区内集金などによって学区が負担すべきである、ただし、小学校については就学率を高めるため、国庫からの補助をする、とされている。
そして例外的に官金を支出するものとして第九十二章に「外国教師の俸給並びに外国人に係わる費用」があげられている。西洋近代の学術の吸収には外国人教師は欠かせないが、その俸給は高額であるから、これを国庫から支出する、というのである。
さて上申書は、大学東校(第一大学区医学校)の拡充を、他校の外国人教師の任期満了を待ってとしていたが、それまで待っていられなかったようだ。すでに述べたように10月2日には大阪の「第四大学区医学校」を廃止してしまう。さらに10月17日には「外国教師傭入の学校は廃止」という布達が出た。理由は「一県にして巨万の金を費や」すのは不公平だからというものだった。ただし、地方税で賄うなり、私財で賄うなりするなら、学校は続けてよいとされていた。そして実際に、外国人教師のいる公立医学校は何らかの形で存続の道を探るのである。
大阪医学校は官立であったために廃校されてもなすすべもなかったが、その後民間の力により復興され、公立医学校として再スタートすることになるのは、別の機会に述べよう。
なお、大阪と同じ官立でありながら長崎の医学校が「姑息の医校」に揚げられていないのはなぜかわからない。その教育レベルが高かったからだろうか。それとも相良知安、岩佐純など長崎の医学校で学んだ者にとっては「聖地」となっていたのか。