執筆者 坂口 幸世
(代々木ゼミナール主幹研究員)
日中戦争から太平洋戦争へと続く時代、教育も戦時体制になった。拡大する戦線の維持には軍医が必要である。修業年限の長い大学医学部・医科大学ではなく、4年で修了する医学専門学校が多数増設された。まず昭和14年[1939]、陸海軍と厚生省の要請にもとづき13の官立医学部に臨時附属医学専門部がつくられた(上図では表示は省略)。
さらに昭和18年[1943]からは官立医学専門学校が5校新設された(青森、前橋、東京、松本、米子)。東京は、唯一の官立歯科専門学校である東京高等歯科医学校に医学科を増設したものである(東京医学歯学専門学校と改称)。さらに、県立として設立された徳島県立医学専門学校が官立に移管されて、官立医専は6校となった。
この時期最も多くの医専が設立されたのは公立で、昭和18年からの3年間で19校が設置された(徳島県立医専を含む)。すでに官立で設置することが財政的に困難となったため、政府が府県に設立を慫慂した。なかば強制的な誘導もあったようだが、府県が主体的に設立した例もある。「銃後の医療」のために女医を養成しようと女子医専を設立したところも多い(北海道、秋田、福島、山梨、岐阜、名古屋市、高知)。
この時期私立では1校が新設されたのみである(順天堂医学専門学校)。日本大学専門部医科は医学部に昇格した。