東京医科歯科大学M&Dデータ科学センター宮野 悟氏 インタビュー

Special Interview

宮野 悟 氏

東京医科歯科大学M&Dデータ科学センター センター長
宮野 悟 氏

1954年生まれ。77年九州大学理学部数学科卒業、79年同大大学院理学研究科数学専攻修士課程修了。79年同大理学部助手、93年同大理学部教授。96年東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センター教授、2014年同施設センター長、15年神奈川県立がんセンター総長(兼務)などを経て、20年4月から現職。

ゲノム×AI×大規模データ活用で日本の医療は激変する

近年注目され、普及しつつある「がんゲノム医療」。がん患者の遺伝子異常を調べることで、治療に結びつける。その礎を築いたのが、数学者で情報科学者でもある宮野悟氏だ。がんゲノム医療を実現に導いた軌跡や宮野氏が思い描く医療の未来、これから求められる医師像について聞いた。

数学の神秘にひかれて、九州大学理学部数学科へ

幼い頃、春になると、近所の道路わきの溝にナマズの稚魚が泳いでいて、それを捕るのが好きでしたね。幼少期から興味の対象は生物でした。特に魚が好きでしたね。それもあって、高校では生物を専門とするコースを選択しました。けれども高校では、ただ覚えるだけの授業が多くて。大学に進んでも、学問として生物学に取り組んでいこうという気にはなれませんでした。

そんなときに興味をもったのが、数学です。数学の神秘性に強くひかれました。例えば、ここにパソコンで使うマウスがありますが、数学的にはこのマウスは定義されて初めて存在します。定義するプロセスや定義されたものが何かを理解するプロセスが数学といえます。

一方、生物学は存在していることが前提にあります。そして、それが何かを定義する学問といえます。つまり、定義できたらそこで終わり。高校生のときに、そうした違いに気づき、数学的なものの考え方にひかれました。

加えて、私には色覚異常があり、大学の理系学部で進学できそうなのは数学科くらいだったというのも、数学の道に進もうと決めた理由の一つです。

九州大学理学部数学科を卒業後は、情報科学の道に進みました。大学の「大型計算機センター(現在の情報基盤研究開発センター)」という研究施設にいたときに、農学部の久原哲先生と知り合い、「今度ヒトゲノム計画が始まるのだけど、加わってみませんか」と誘われました。1990年にスタートした「国際ヒトゲノム計画」です。

ゲノムとは、生物のDNAに記されたすべての遺伝情報のことで、生物の設計図のようなものです。人間には30億の文字(塩基)が連なった遺伝情報があり、このヒトゲノムを完全に解析することを目指したのが、「国際ヒトゲノム計画」でした。この計画について聞いたとき、「とうとう生命をゲノムのレベルからとらえる方法論ができつつあるんだ」とワクワクしたのを覚えています。

研究には興味がありましたが、私には解析技術の知識はあっても、生命・バイオロジーの基礎知識がありません。その点を躊躇していると、研究が終わる夕方6時くらいから、久原先生が毎週研究室でレクチャーしてくれることになりました。そして国際ヒトゲノム計画のメンバーになったのです。

1970年代当初、がんゲノム医療は“妄想”のような存在だった

1970年代頃から、がんは遺伝子の変異によって起こるため、がんを治療するには遺伝子からみなければならないということが、世界共通で認識されるようになってきました。しかし、当時、「がんを遺伝子からみる」のは、現実にはできないと思われていました。がんの原因である遺伝子の変異とは、遺伝情報である文字が書きかわったり、一部が消失したりすることです。30億ものなかから変更や消失を探し当てるのは途方もないことで、不可能だと思われていたのです。

私が国際ヒトゲノム計画に携わった当時、ゲノム医療とは“妄想”のようなものでした。できると素晴らしいことだけれども、論理的に考えるとできるわけがない、と。「そんなことをしても意味がない」という人さえいました。けれども私の耳にそうした声は入らず、“妄想”を現実化することばかりが頭にありました。

そういうところは、幼少期から変わっていないのかもしれません。道路わきの溝に水が流れていると、何も見えなくても「ナマズの子がいるんじゃないか」と思って、よく探していたんです。ナマズの子は、「いない」と思えばちゃんと探さないので見つかりません。けれど、「いる」と思って探すと見つかるものです。

96年には、東京大学医科学研究所のヒトゲノム解析センターへ移りました。同年、パン酵母の全ゲノムが解析され、97年には大腸菌、98年には線虫、2000年にはショウジョウバエの全ゲノムが解析されました。そして03年にヒトがもつおおよその遺伝子数が解明され、国際ヒトゲノム計画が完了しました。

同時期に遺伝情報の文字列を読み解く「シーケンサー(解析装置)」の技術革新も進み、民間企業がヒトゲノムのシーケンス(解析)に取り組むことを発表したほか、NIH(アメリカ国立保健研究所)はゲノム解析のコストを1000ドルまで下げるという目標を掲げるにまで至りました(14年に実現)。

遺伝子変異の多さという壁を打破したのがAI「ワトソン」

正直なことを言うと、国際ヒトゲノム計画に関わるようになった当初は、自分が生きているうちに今のような時代がくるとは思っていませんでした。しかし今、ゲノム解析やシーケンサーの進歩に触れ、ゲノム医療についての未来の映像がクリアに見え始めたのです。

2008年に、がんにおける遺伝子異常の解明とその情報のデータベース化を目的とした国際研究プロジェクト「国際がんゲノムコンソーシアム(ICGC)」が発足し、私もメンバーとして参加しました。50種類以上のがんについてゲノムを調べ、臨床で応用できる遺伝子変異を見つけてデータベース化し、それを全世界でシェアしようというプロジェクトです。ゲノム医療の実現がいよいよ現実味を帯びてきました。

11年には医科学研究所の医療チームとともにゲノム解析に基づくがんの臨床研究を開始しました。最初に取り組んだのが大腸がん。しかし、すぐに大きな壁に直面しました。遺伝子変異の多さです。

ゲノム解析をすると、100万もの遺伝子変異が見つかったのです。その中からどの遺伝子変異がその人の大腸がんの原因になっているのかを探し出し、世界中のがんについての文献などをもとに、その遺伝子変異にはどの治療が適しているのかということを検討していかなければならない。とても無理な話です。

どうしようかと悩んでいたときに、たまたま動画サイトにあったアメリカのクイズ番組で、IBMの人工知能(AI)である「ワトソン」がチャンピオンを相手に2回連続で勝っているのを見たのです。「これは使える」とひらめきました。ワトソンとは、大量のデータから質問に対する答えを素早く導き出したり、自然言語(人間の使う言語)を理解して人間の意思決定を支援したりするAIのことです。

調べてみると、ニューヨーク・ゲノム・センターではすでにワトソンを利用したシステムを開発していました。脳腫瘍の患者について、その原因となっている遺伝子変異を可能性が高い順にランク付けし、それに適した承認薬や治験薬、その薬が効果的だというエビデンス(科学的根拠)を調べるところまでをワトソンが行っていたのです。

さっそく医療チームと同センターに見学に行き、私自身はがんゲノム医療にはAIが不可欠だと実感しました。しかし、現場の医師たちからの「AIを使って治療方針を検討するなんて、信頼性がないからやめてくれ」という声も小さくありませんでした。

そこで私は「少なくともがんゲノム医療にAIは有効なのか否かを、明らかにすることは必要ではないか」、「AIは医師の本来の能力を高めるためのツールにすぎない。最終的な診断や治療方針の決定は医師がするべき」と説得し続けたのです。結果、15年、医科学研究所にワトソンを導入することになりました。