東大新人会
関東大震災が発生したとき、東京帝国大学法学部の学生だった林房雄(はやしふさお)は故郷の大分に帰省していた。大分中学校(現・大分上野丘高校)、熊本の第五高等学校(現・熊本大学)を経て東大に進学したが、東大に入学したのではなく「新人会に入学した」のだという。大震災の年に帰省していたのは、故郷でのオルグ(組織拡大)を行うためだった。
新聞が伝える震災記事を読んで林は落胆した。「帝都壊滅、江東方面で市街戦、皇太子行方不明」と伝える記事を読んで、ついに東京でプロレタリア革命が起こって、皇太子を確保した、それに参加できなかった自分は落伍者だと思ったという。
東大新人会は大正7年[1918]に結成された学生団体で、当初は吉野作造の説くデモクラシー理論の研究が目的だったが、それから数年経つと「共産主義理論を奉ずる学生団体」に変質してしまい、日本共産党の「細胞」(末端組織)が全運動を指導していたという(林房雄著『文学的回想』)。
林房雄より1年年長の中野重治(なかのしげはる)は、金沢の第四高等学校で2回落第したので、関東大震災のときはまだ金沢にいた。中野は福井中学校(現・藤島高校)から第四高等学校(現・金沢大学)を経て、大正13年[1924]東京帝国大学文学部に入学した。「新人会に入学した」わけではなかったが、林房雄と知り合い、誘われて新人会に入会し、ここでマルクス主義のイロハから学んで、やがてはプロレタリア文学の旗手となっていく。
新人会入会まもないころから、卒業までのことを描いたのが『むらぎも』である。主人公・片口安吉(モデルは作者)の、新人会での活動、同人誌「驢馬」(作中では「土くれ」)の文学仲間との交流、共同印刷(作中では「合同印刷」)の労働争議での支援活動などが語られる。