文学散歩【5】地震学者大森博士と谷崎潤一郎

法文1号館にみる大震災の記憶

三四郎が歩いた本郷キャンパスの建築群は大正12年9月の関東大震災でほとんどが焼失してしまった。震災以前からの建物は理学部化学館など数少ない。安田講堂は震災前に着工して震災後に竣工したので、震災の被害の痕跡は見られない。

その安田講堂の前に立って正門の方向を見ると、銀杏並木の右に法文1号館がある。この建物の安田講堂に向いた面(東側面)は単純な平面ではなく3面で構成されている。

ここには震災前は「八角講堂」があった。八角柱の形をした法科大学講義室である。

法文1号館の東側面 3面で構成されている

法文1号館の東側面
3面で構成されている

関東大震災で被災した八角講堂(『東京大学の百年:1877-1977』より転載)

関東大震災で被災した八角講堂(『東京大学の百年:1877-1977』より転載)

大正3年に竣工したが10年を経ずして大震災で焼け落ちてしまった。その跡地に法文1号館を建設するに当たって、内田祥三は八角講堂の土台をそのまま利用することにした。だから法文1号館のこの東側面は、八角講堂の半分の形状を継承することになった。震災前/震災/震災後の3つの時間が重ねられている。

法文1号館の向かいの法文2号館の東側面も同様の形状をしているのは、1号館と対称性を持たせるためであるのはもちろんである。1号館の地下1階に残る八角講堂時代の控え壁や尖塔アーチ型窓は2号館にはない。

次のページ:東大地震学の起こり »