文学散歩【7】中野重治『むらぎも』の安田講堂卒業式

東大卒の皇族

卒業式の場面に戻ろう。「総長代理」は述べる。

さいわいにも諸君はわが大学創設以来×十年 ——(何十年といったのかよく安吉に聞えなかった)—— はじめて村田ノ宮殿下とごいっしょに卒業するという光栄をになわれる次第であります……

「村田ノ宮殿下」は安吉が以前に何度か目撃している。授業が終わるとすぐに「時間にすきまをつくらせないで自動車ですっと迎えに来られてしまう生活、それにたいしてやりきれなさを爆発させることもできず、そこらを見まわしてはみるものの、つまりは車に押しこまれていってしまう」、そのことに対して安吉は同情していた。

中野重治は昭和2年[1927]3月の卒業である。この年の卒業生名簿には、獨逸文学科に「中野重治 福井」とあり、国史学科に「藤麿王」とある(『東京帝国大学一覧 従大正十五年至昭和二年』)。

藤麿王は山階宮菊麿王の第三子で、伊勢神宮の祭主になるようにという明治天皇の意向に沿って、軍人(皇族男子は軍人になることになっていた)にはならず、東大に入学したのである。そんなことは知らない安吉は、「皇族仲間では仲間はずしにされかねぬような性質でもあって、親たちもいい意味で困った挙句ここの大学の文学部というところなんぞへ入れたというものか」と想像している。宮家の二男以下は成人したら臣籍降下するという皇室典範の規程に従い、卒業後は筑波姓を賜り侯爵となった。戦後は靖国神社の宮司を務めた。

山階鳥類研究所を創設した山階芳麿は、藤麿王の兄である。陸軍士官学校を出て砲兵将校となったが、鳥類研究熱抑えがたく、陸軍を去って東京帝国大学理学部に選科生として学んだ後、昭和7年[1932]研究所の前身となる山階鳥類標本館を設立した。