文学散歩【7】中野重治『むらぎも』の安田講堂卒業式

安田講堂

安田講堂

たくさんの大学生といっしょにぞろぞろと安吉は大講堂へはいって行った。はじめて扉のあけられた大講堂……半円形の大ドームの下で、下に掛けている学生たちと巨大な笠のような円天井とのあいだの空間が、非常に心持ちよく肉体的に空間として感じられてくる。

これは『むらぎも』の最後の方で描写される東京帝国大学卒業式の様子である。「大講堂」が正式名称、「安田講堂」は通称で、財閥の名を冠した呼称を安吉(=中野重治)は嫌った。

大正10年[1921]5月、天皇行幸の際の便殿(びんでん・貴人の休息所)がないことを知った実業家・安田善次郎から文学部教授村上専精を通じて、大講堂と便殿の建設のためとして100万円(のち110万円に増額)の寄付の申し入れがあった。大学はこれを受け入れ工学部教授内田祥三(うちだよしかず)の設計により大正11年12月着工、関東大震災による中断をはさんで大正14年7月竣工した。

大講堂の設置場所は浜尾新(はまおあらた)総長時代(2期目)に決められていた。正門から講堂設置予定地に向かって両側に銀杏が植樹されていたのは漱石の『三四郎』に書かれている。(本稿(3)「三四郎の本郷キャンパスツアー(第2回)」参照)