文学散歩【7】中野重治『むらぎも』の安田講堂卒業式

レンブラントの絵のような総長

総長でない誰かが立って挨拶をする。総長代理といったものだろうか。

安吉は総長を見知っている。以前に構内で見かけた姿は「ふとった大男のじいさんで、軽い跛(びっこ・ママ)を引く。杖で歩く。古い農学博士だが、おれの言葉でいえば哲学者的汎神論者な風貌だ」った。新人会の解散命令を出さないようにと直談判に言ったときの印象は「レンブラントのなかの人物かのよう」だった。

この農学部出身の総長は古在由直(こざいよしなお)である。農学部前身の駒場農学校を出て、母校の助教となり、その学校が帝国大学に統合されたため帝国大学農科大学助教授、そして教授となり、大正9年[1920]、山川健次郎の後を襲って総長に就任する。足尾銅山鉱毒事件で地質調査を行い、鉱山と被害との因果関係を立証した人として知られている。晩年は、農学部の実科廃止に反対し、これを独立させ府中に移転するのに尽力したのだから、現・東京農工大学の産みの親とも言える。