文学散歩【8】太宰治、仏文黄金期のはぐれ者(その1)

『帝国大学新聞』の「盗賊」

太宰治の第一創作集『晩年』に収められている「逆行」は4編からなるオムニバス作品である。そのうちの3編は「文芸」昭和10年12月号に発表されたもので、「盗賊」と題された残り1編は帝国大学新聞に発表された。帝国大学新聞は現在の東京大学新聞の前身である。

太宰治(本名、津島修治)は青森中学校(現・青森高等学校)、弘前高等学校(現・弘前大学)を経て、昭和5年4月、東京帝国大学文学部仏蘭西文学科に入学した。しかし1単位も取得することなく、昭和10年9月に授業料未納により除籍された。「盗賊」が掲載された『帝国大学新聞』はその年の10月7日号だから、除籍と時期が重なる。ただ、この年の3月の時点ですでに太宰は大学の方はすっかり断念していたらしい。

「盗賊」は落第が決定しているのに学年末試験を受ける「甲斐ない努力」をする、ボードレール風ダンディズムを気取る「われ」の話だが、『帝国大学新聞』に掲載することを意識してか、本郷キャンパスの「名所」がいくつも登場している。学生やOBが読んでいて思わずほくそ笑むような、読者へのサービス満点の作品である。

今朝こそわれは早く起き、まったく一年ぶりで学生服に腕をとおし、菊花の御紋章かがやく高い大きい鉄の門をくぐった。おそるおそるくぐったのである。

この門はもちろん正門である。しかし「菊花の御紋章」はいただけない。確かに似ているがこれは菊花ではない。

正門は明治45年6月に設置された。工科大学教授・伊東忠太のデザイン。門扉の上で門柱をつなぐ冠木(かぶき)(笠木・かさぎとも言う)の部分の透彫に描かれているのは、瑞雲の間から昇る旭日である。輻射光線を16分割線で描いているから、十六弁の菊の紋章に似ている。しかし、鋭い光線と柔らかな花弁と、その造形は明らかに異なる。『東京大学本郷キャンパス案内』によると、現在の正門の門扉と冠木はレプリカだそうである。オリジナルは駒場キャンパスで保管されているという。

次のページ:安田講堂とウチダゴシック »