文学散歩【4】三四郎の本郷キャンパスツアー(最終回)

東大生は「タイプライター」

井の哲(井上哲次郎)の教えた「約三千人」の中に数えられているのかどうかわからないが、三四郎も講義を聴いていたものの「ドイツの哲学者の名が沢山出て来」ると理解しにくくなった。近くの学生はノートに井の哲の似顔絵を描いている。この男が佐々木与次郎で、講義が終わって「大学の講義は詰まらんなあ」と三四郎に話しかける。

「つまるかつまらないか、三四郎にはちっとも判断ができない」のだが、「なんとなく気が鬱しておもしろくなかった」のはやはり初日の講義が期待外れだったからだろう。故郷の母へ書いた手紙には「学校はたいへん広いいい場所で、建物もたいへん美しい。まん中に池がある。池の周囲を散歩するのが楽しみだ」とあって講義については語らない。

なぜつまらないのか、作者は与次郎に説明させる。いわく、「下宿屋のまずい飯を一日に十ぺん食ったらもの足りるようになるか考えてみろ」。大学の講義が「下宿屋のまずい飯」に例えられてしまった。与次郎の登場で、いままでの当てこすりのような大学批判は次第に明解に述べられるようになる。

三四郎池

三四郎池。ラフカディオ・ハーンは同僚たちを避けてこの池の周囲をめぐり歩くのを常としていた。

小泉八雲が教員控室を嫌って、講義の合間は三四郎池を周回していたのは他の教員のレベルが低いからだという与次郎の話 [1]、与次郎による「小さん・円遊論」が大学の講義より「文学的」だという三四郎の感想、そして無名氏による図書館の本の書き込みである。

無名氏は言う。ヘーゲルのベルリン大学での講義は「講義のための講義にあらずして、道のための講義」であると賞賛して、今の自分が試験のためにつまらない本を読まなければならないことを嘆き「未来永劫に試験制度を呪詛する」。

また、ヘーゲルの講義を聴講した学生たちは「衣食の資に利用せんとの野心を持って」聴くわけではない、「向上求道(ぐどう)」のために哲人ヘーゲルの伝える「無常普遍の真」を聴き、自らが抱くさまざまな疑義を解釈しようと言う清浄心から集まっているのだ、それに比して日本の大学生は「タイプ・ライターにすぎず」と歎ずる。タイプ・ライターとは講義をただひたすらノートに書き写しそれを丸暗記することが、試験で高得点を取る条件であるというような、東大の教育を批判する言葉である。

ところがこのような大学教育批判は実は夏目漱石のオリジナルではない。同様の論調はこの時代の文章のあちこちで見かけることができる。

たとえば内田魯庵の『社会百面相』(明治35年)。就職が決まって颯爽と人力車を走らす同窓生を見ながら路上の学生がヤッカミを言う、「キヤツのようなメカにノートを諳唱したヤツが何の役に立つもんか」[2] と。「メカに」とは「機械的に」の意味。

本文脚注
  1. ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が教員控室を嫌ったことについて井上哲次郎は別の理由を挙げている。井上の『懐旧録』によると、ハーンはキリスト教に反感を抱き仏教や神道にシンパシーを感じていたが、晩年になると猜疑心が強くなって、同僚外国人教師たちが「宗教的同盟を作って余を排斥している」と言い出した。特に哲学担当のラファエル・フォン・ケーベルはガチガチのカトリック信者であったから、ハーンと衝突したのではないか、それでハーンは教員控室に寄り付かなくなったのだと井上は推測している。
  2. 内田魯庵『社会百面相』