大嶌幸一郎教授インタビュー

Special Interview

京都大学大学院 総合生存学館(思修館)総合生存学専攻 大嶌幸一郎 教授

京都大学大学院 総合生存学館(思修館)
総合生存学専攻
大嶌幸 一郎 教授

1975年京都大学工学研究科工業化学専攻博士課程修了、工学博士(京都大学)。専門は、炭素−金属結合をもつ有機金属化合物を用いた、イオン的・ラジカル的な反応の研究。著書に「基礎有機化学」(東京化学同人)・「有機金属化学」(丸善)・「現代有機化学ボルハルト・ショア」(訳、化学同人)など

京都大学副学長、工学研究科長・工学部長を務め、現在 京都大学 大学院 総合生存学館にて研究指導に当たる大嶌 幸一郎教授に、ご自身の経験や研究、京都大学を目指す学生に向けたアドバイスを伺った。

有機化学はセレンディピティ
思いもかけない出会いが研究の魅力

学生時代のこと節目節目で、いつも人が導いてくれた
おかげで人生、良い方向へと転がっていった

—— かつての京都大学では、工学部が全学で最難関の時代があった。医学部より工学部の方が入試の難易度が高かったのだ。そんな時代に大嶌教授は、工学部でもトップレベルの原子核工学科に挑む。残念ながら不合格となり一浪の末に教授は、工業化学科を選んだ。

私が現役受験したのは1965年です。当時の日本は工業立国を国策としており、中でもこれからは原子力の時代だと言われていました。正に花形となる原子核工学科にあこがれて受験したものの、定員わずかに20名、工学部の最難関であり医学部より難しかった。あえなく落ちて浪人した私は、人生振り返ってみても、これ以上ないといえるほど勉強しました。

そして一年後、どの学科を受けるべきか悩みました。我々、団塊の世代は1学年に250万人もの同期がいます。その中のほんの一握り、たったの20人しか原子核工学科には入れない。再挑戦するか、それとも……。結局、もう一年浪人するのだけは何としても避けたかったので、工業化学科を選びました。

晴れて合格し、さあ勉強だと意気込んだもののタイミングが悪かった。ちょうど70年安保と重なり、学校閉鎖で授業がないのです。とはいえ、そのままでは卒業できないので、4回生だけはスト解除になります。工学部4回生は研究室所属となるので、野崎一先生(※1)に入れていただくようお願いしました。工学部の中でも特に怖くて厳しいことで知られた先生は、怠けがちな自分に最適の師と考えたのです。

野崎先生の教室には、後にノーベル賞を受賞する野依良治先生(※2)や私の師匠となる山本尚先生(※3)などのエリートが集まっていました。そんな中に紛れ込んだ私に対する野崎先生の評価は当然低く、大学院に進みたいと申し出たら「君、アホは大学に残っちゃいかんのだよ」と言われました。今から思えば、ひどい話です(笑)。

そこをなんとかとお願いしたところ、博士を出たら必ず就職するという条件付きで許してもらいました。野崎先生は本当に厳しい方で、180人ぐらい弟子がいる中で、実力を認めているのは野依先生と山本先生のお2人ぐらいです。そもそも野崎先生ご自身が、京大でも稀に見るような天才肌の研究者でした。ただ先生は、ご自分が前に出るタイプではなかった。研究者として超一流でありながら、極めて熱心な教育者でもあった。だから一年を通じて出張などほとんどせず、研究室で指導にあたっておられました。

修士課程の2年が修了し、博士課程に進学した時に、先生が認める2人の弟子の内の1人、山本先生が米・ハーバード大学から助手として戻ってこられました。その山本先生がなぜか私に「就職するのはもったいないから、博士研究員としてもう少し研究を続けては」と声をかけてくれたのです。

博士課程の3年間みっちりしごいていただいた山本先生の紹介で米・マサチューセッツ工科大学のバリー・シャープレス先生(※4)の下で博士研究員を務めることになりました。シャープレス先生もその後、野依先生とノーベル賞を共同受賞されるほどの方です。師に恵まれた私は2年半後に日本に戻り、野崎研究室の助手に抜擢していただきました。野崎研では助手は5年で交代する不文律があり、野依先生も山本先生もきっちり5年で外に出されています。ところが、なぜか私だけ7年半やらせてもらい、その後も京大に残してもらいました。出来の悪い弟子だからと、野崎先生に特別に目をかけていただいたのかもしれません。

ともかく野崎研に入り、山本先生の教えを受けたのが私の原点。そこから本気で有機化学の世界にのめり込んでいったのです。

本文脚注

※1:野崎一 …… 1922年生まれ。京都帝国大学工学部化学科卒業後、京都大学工学部教授、岡山理科大学教授、有機合成化学協会会長などを歴任。京都大学名誉教授。極めて穏和な条件で進行する炭素-炭素結合形成反応である野崎-檜山-岸反応を発見。門下生に、野依良治(理研・ノーベル化学賞受賞者)、山本尚(シカゴ大学教授)、檜山為次郎 (京大教授)、大嶌幸一郎(京大教授)、丸岡啓二(京大教授)、高井和彦(岡山大教授)らがいる。

■ 野崎-檜山-岸反応

野崎-檜山-岸反応

※2:野依良治 …… 1938年生まれ。京都大学大学院工学研究科工業化学専攻にて修士課程を終了後、野崎一の助手となり、1967年工学博士。ハーバード大学博士研究員としてイライアス・コーリー(1990年ノーベル化学賞受賞)の下、1970年3月まで研究を行い、後のノーベル化学賞共同受賞者となるバリー・シャープレスと交流。2001年に「キラル触媒による不斉反応の研究」が評価されノーベル化学賞を受賞。

■ 野依教授らが発見した不斉還元構造の化学反応式

野依教授らが発見した不斉還元構造の化学反応式

第18回「はたち塾」大嶌幸一郎氏による講演「環境・エネルギーと化学」の概要より

※3:山本尚 …… 1943年生まれ。京都大学工学部工業化学科卒業後に渡米し、ハーバード大学E.J.Corey教授の下で博士を取得。その後、京都大学で野崎教授の助手を勤め、名古屋大学の教授を経てシカゴ大学化学科教授となる。現在は中部大学で研究を行なっている。炭素と炭素の結びつきを自在に組み替える「分子性酸触媒」開発のパイオニアとして知られ、次のノーベル賞候補として名前が挙がる。
※4:バリー・シャープレス …… 1941年生まれ。1959年に Friends’ Central School を卒業後、ダートマス大学で研究を続け、1963年にスタンフォード大学で博士号を取得。その後スタンフォード大学、ハーバード大学で博士研究員を続けた。2001年にウィリアム・ノールズ、野依良治とノーベル化学賞を共同受賞。