北川進教授インタビュー

Special Interview

京都大学アイセムス(高等研究院 物質-細胞統合システム拠点)拠点長/京都大学特別教授 北川 進 氏

京都大学アイセムス(高等研究院 物質-細胞統合システム拠点)拠点長
京都大学特別教授
北川 進 氏

1951年京都府生まれ。京都大学大学院工学研究科博士課程修了後、近畿大学理工学部助教授、東京都立大学理学部教授などを経て、1998年から京都大学大学院工学研究科教授。2013年、京都大学アイセムス(高等研究院 物質–細胞統合システム拠点)拠点長に就任。1997年に多孔性配位高分子(PCP)の実証に成功して以来、PCPの開発を牽引してきた。

偶然できた「穴」に着目し、
世界中から注目される発見に

※本インタビュー記事はSAPIX YOZEMI GROUPが制作している「2020 東京大学京都大学 AtoZ」(2020年10月23日発行)より転載したものです。

気体を自由に貯蔵、分離できる材料として世界中から注目を浴びる「多孔性配位高分子(PCP)」。そのPCPを発見したのが、京都大学アイセムス(高等研究院 物質-細胞統合システム拠点)拠点長の北川進氏だ。独創的な研究でノーベル化学賞の有力候補としても知られる北川氏が語る学生時代、PCP発見に至った経緯、研究の今後とは——。

もっと勉強を深めたい、と思った高校時代 身近にいい大学があった

京都大学へ進学したのは、身近な地元の大学だというのが大きな要因でしょうか。よその大学、京都府外の大学に行ったら下宿しないといけない。地元にいい大学があるのだから、という理由で京都大学を受験しました。

それ以外にも、「今思えば」という理由はいくつかあります。当時私が通っていた高校は創設間もない学校で、多くの生徒が大学に進学するような伝統校ではなかったんです。だからなのか、先生たちは、「受験勉強を教える」というよりは「楽しそうに自分の知識を披露している」といった感じでした。印象に残っている先生の一人が倫理の先生です。倫理の先生なのに、ものすごく数学のできる人で、生徒が「数学でわからない問題がある」というと、「おれが解いたる」とみんなの前で解いていたんです。そういう先生の姿を見ていて、純粋に「学ぶのっていいな」と思った覚えがありますね。

中学生のときには、思い出深い同級生がいました。隣の席だった男の子で、すごく数学が得意な子でした。あるとき、数学の授業で先生から「15の2乗は何だ」と問われたところ、その子が「225」とぱっと答えたんです。今ならすぐにわかりますよ。「 (a+b)2」の公式を使って「 (10+5)2」を計算すればいい、と。ただ、当時は知らなかったからびっくりしてしまって。「なんだ!スーパーマンみたいだ!」と感じたのです。その子は、先生の授業の進行を無視してどんどん勉強していました。それ以来、わかる教科は先生のペースに合わせず、自分のペースで勉強したらいいと考えるようになりました。

けれど、高校でそうやって勉強していたら、数学の先生に「あんたは自分だけわかってたらいいのか。人にも教えなあかんのちゃうか」と言われましてね(苦笑)。今思えば、「自分だけが知って満足するな」と、そういうことだと思います。

高校では生物の先生に言われた言葉も記憶に残っていますね。生物の授業で実習課題を出されて、数カ月間かけて個人個人で植物を育てたことがありました。結果、私がクラスで一番うまく育てられなかったんです。そうしたらその先生から「君は本だけやな」と言われたんです。「知識だけでもだめだ。どうしたらいいのか」と悩んだこともありました。

こうした経験が相まって、もう少し勉強を深めたいという気持ちがあったんでしょうね。そうしたところ、身近にいい大学があったので、京都大学に進学を決めた。今になってみるとそうだったのだと思います。

そもそも小学生くらいのころから、なぜだか「理屈」とか「仕組み」に興味がありましたしね。ものを分解することに興味があったんです。分解といっても、何かをいろいろ分解しては、いろいろ壊していたんですけれども(笑)。

1970年に京都大学工学部に入学しました。入学後に同じクラスになった人の中には、すごく自由を謳歌する人から全然そうでない人まで、いろんな人がいましたね。その幅の広さはすごく面白かったです。

学生時代に所属した学科には、後にノーベル化学賞を受賞する福井謙一先生がいて、その一番弟子だった米澤貞次郎先生のもとで学びました。学んだのは、計算機で物質の構造を追う理論化学です。このときに、理詰めでとことん考える習慣を身につけましたね。