秋田喜代美教授インタビュー

子育てをめぐる葛藤をきっかけに「子どもについて学びたい」と思うように

華のOLに憧れて入行したはずの銀行勤務なのに、配属された部署では5時に仕事が終わることはありません。私の考えは甘かったのです。いつしか、これを続けるのは大変だという考えがよぎるようになりました。

そんな折、銀行員だった夫が地方に転勤することになりました。当時、私にはスキルアップしたら新しい仕事を任せてもらえるという話もあり、とても迷ったのですが、「むしろ辞めるならこのタイミング」と思い、退職して専業主婦になる道を選びました。忙しく働いていた日々から解放されて、毎日が日曜日のようで、料理番組を見てレパートリーを増やすなど、主婦業を一生懸命勉強していました。ただ、どこか退屈なところもありました。

子どもができると、周囲の先輩ママがいろいろと子育てについて教えてくれました。しかし、その子育て論を聞くうちに、疑問を持つようにもなりました。「抱き癖がつくから子どもは抱かないほうがいい」と言われても、泣いていたらかわいそうだから抱きたい、と思ったり。子育てをめぐる葛藤が生まれてきたとき、子どもの発達についてもっとしっかり学んでおけばよかった、と思い始めたんです。今からでも通信教育で学びたいと夫に話すと、「どうせ学ぶならきちんとした職に就けるよう、しっかり勉強したら」と応援してくれたのです。

そうして、東京大学教育学部に学士入学し、教育心理学コースに入りました。月の半分は社宅のある長野で過ごし、残り半分は千葉にある夫の実家に子どもを預かってもらいながら、大学院まで進みました。周囲からは、一度大学を出ているのに、なぜ夫を置いてまた大学に通っているのか、自分の子育てはどうするのか、という声もありました。それでも続けたのは、学ぶことがおもしろかったから。よい奥さんもよい親もやめます、と自分自身に言い聞かせ、その分「自分らしく生きよう」と決めました。

子どもをおんぶしながら何時間もパソコンに向かうこともありました。そうやって夢中になって学んでいくと、新たな道が開けてくるのです。子どもたちのために、私にできることがきっとある。学んだことを生かせる仕事に就けば、それが子どもたちのためにもなるという思いでした。自分に子どもがいて、子どもについて学ぶというのは、ある意味最高の環境でもありました。

東京大学の博士課程を修了後、立教大学文学部の教員になりました。当時は74人のスタッフ中、女性教員は2〜3人。私の場合は自分の育児と専門分野が近いので、実体験も仕事に活かしていけるとも考えました。もちろん苦労もありました。自宅と保育園、勤務先をいかに近くするかは大きな課題でしたし、子どもを迎えに行き、帰って夕飯を作ってからまた出勤することもありました。

東京大学に移ったのは、大学院時代に出会った先生からの突然の連絡がきっかけでした。「これまで教師にどう指導したらいいかを指導できる研究者は数多くいたけれど、あなたなら子どもの姿が見える。子どもがどう学んでいるかをしっかり見て、教師と一緒に考えられる人材が必要だ」と言われ、東京大学に来ることを勧められたのです。そこから教職開発という、学校や園の先生方の学びを支援する仕事をするようになりました。

保育園、幼稚園から小中学校・高校まで、園や学校現場に研修や参観として入らせていただきながら、心理学をベースに研究し、考えていくのが私の専門領域です。子どもがどのようにコミュニケーションを図り、子ども同士がどう関わって学んでいるかを明らかにする。さらに、子どもの学びが見える先生を育てていくにはどうしたらいいかを研究しています。これを基にレッスンスタディという研修を行い、教師の専門性を育てていくための資質や授業について考えています。保育の領域では、この分野の研究がこれまで不足していたので、保育者の方が学んでいくためにはどういう研修をしたらいいのか、園児とどういう環境を作ったらいいか、園の中でどうやって専門家の大人が子どもを支援していくかといった、保育の質の研究も進めています。

そうした研究の中で、全国各地にある多数の保育園、学校を訪れました。笑い話のようですが、我が子の授業参観がある日によその学校の研修に行き、罪悪感にさいなまれたこともあります。母親として我が子の参観に行ったときでも、教室でどういう学びが生じているか、ついノートをとって見てしまいます。子どもには「お母さん、ノートを持って見に来ないで」って言われましたね(笑)。

5年前には、東京大学で発達保育実践政策学センターを立ち上げました。小中学校で課題を抱える子どもたちを多く見るようになり、それより前の乳幼児期が大切だと思ったのです。全国には多数の幼稚園と保育園がありますが、所管する省庁が分かれているため、トータルに学術研究をしたり、データを蓄積したりする機関がありませんでした。皆様のご支援をいただきセンターを設立することができ、若手の女性研究者を中心に、子育て中の人たちもたくさん研究をしています。現在ではコロナ禍において、園の先生や保護者はどうしているか調査して発信したりしています。

もう一つ、私は絵本や読書を推進する活動を続けています。「子ども読書年」となった2000年、赤ちゃんに絵本を読むことを推奨する「ブックスタート」という活動を立ち上げました。イギリスの保健所で乳児検診の際に絵本を手渡す活動をしているのを見て、日本でもできたら、という思いで始めたんです。私自身、学生時代はあまり本を読んでいませんでしたが、子どもと一緒に絵本を読むところから絵本の楽しさがわかり、本をよく読むようになりました。活動開始から20年、今では全国の約6割の自治体で実施されています。日本でも赤ちゃんに絵本を読むことがごく普通のことになり、社会は変わっていくのだな、ということを実感しています。