岡島礼奈氏インタビュー

Special Interview

岡島 礼奈 氏

株式会社ALE代表取締役/博士(理学)
岡島 礼奈 氏

1979年 鳥取県生まれ。東京大学理学部天文学科卒業後、同大学院理学系研究科天文学専攻で博士号を取得。学士課程中にプログラミング会社を起業、大学院進学のタイミングで創立メンバーに委譲した。博士号取得後、ゴールドマン・サックス証券戦略投資部に入社。退社後、2011年に世界初の宇宙エンターテインメント会社となる「株式会社ALE」を設立、現在に至る。

株式会社ALEのホームページはこちら
https://star-ale.com

「何になりたいか」ではなく「何をしたいか」で進路を決める

きっかけは、しし座流星群。胸に深く刻まれた天体ショーが起業ビジネスの礎になった。東京大学で10年近く学び、博士号を取得。現在は人工流れ星の事業化を進める岡島礼奈氏の軌跡を追う。

宇宙への探究心から大学へ
規則正しい生活や計画的な勉強を意識

私は鳥取の高校を卒業後、1年間浪人しているのですが、当時は県内の高校に「専攻科」という浪人生を対象にした教育課程があったんです。公営の予備校のようなもので、そこに毎日通いました。

大学で勉強したかったのは宇宙のことです。関心が芽生えたのは中学生の頃で、きっかけは『ホーキング、宇宙を語る』という1冊の本でした。いわゆる“中2病”で、ブラックホールという人知を超えた存在に感銘を受け、難解なアインシュタインを読んでいる振りなどをしていました(笑)。

岡島 礼奈 氏

ただ、わからないなりに、惑星の動きと体育のボールの軌跡が同じ公式で表されるという物理学はインパクトがありました。政治や経済は移り変わりますが、数学や物理はどの文化圏でも通用する普遍の学問です。もしかしたら宇宙人とだって物理学なら共通語になり得るかもしれないし、それが通じない宇宙があるのかもしれない。ますます宇宙への興味が募りました。

実は、最初は京都大学の理学部を志望していたんです。でも、京大の入試問題はセンスが問われるタイプで、私には過去問がまったく解けませんでした。一方、東大の問題はトリッキーな出題はないので、しっかり努力すれば解けた。相性がいいと思い、志望校を変えることにしました。

もうひとつ、背中を押されたのが高2のときに参加した「数理の翼夏季セミナー」です。1週間、大学レベルの講義を無料で受けられるセミナーで、東大生や京大生のチューターもいるのですが、そのとき「理系でいちばん予算を持っているのは東大だ」という話になって。天文学の世界は「お金があるほど遠くが見える」んです。ハワイのすばる望遠鏡の建設に約400億円かかったように、金額と望遠鏡の倍率は比例するんですよ。研究費のかけ方も違ってくるし、じゃあやっぱり東大かなと。

※「数理の翼夏季セミナー」…1970年のフィールズ賞受賞者・広中平祐氏が1980年に創始した合宿形式のセミナー。対象は高校生・大学生で、2022年で第42回目を迎える。

浪人時代は、現役の時より受験勉強に専念しました。自分に課していたのは、まず規則正しい生活をすること。毎日片道30~40分歩いて専攻科に通い、体力づくりをしました。次に、計画を立てて自分のペースで勉強をする。私は暗記ものが苦手だったんですが、問題集を買ったら得意不得意は関係なく、目次の上から順に日付を書いてその通りに進めました。さらに苦手な分野は「今月はこの科目」と決めて、集中的につぶしていきました。そうやって1年間で学力が上がったことを実感しつつ、無事合格することができました。

ただ、東大に合格したのはいいのですが、入学して待っていたのは周囲との格差でした。田舎でちょっと頭がよかったレベルと都会の進学校レベルでは、文化資本が違うんです。私が「あの漫画、面白いよねー」とか言っているかたわらで、クラシック音楽の数学性を論じているんです(笑)。世界が違いすぎて打ちのめされました。早々に庶民として強く生きていこうと決めました。

大学2年になると、それまでのテストの点数で専攻が決まる「進学選択」があります。宇宙関連は本当に優秀な人しか選ばれないので、成績が悪かった私は妥協して自分が行けそうなところを選んだにも関わらず、全落ちしてしまいました。それも2回。「これは留年するぞ」とおびえていたら、そのとき奇跡が起こりました。例年、大人気の天文学科がなんと定員割れしたんです。それでまさかの、いちばん勉強したかった学科に入ることができました。後にも先にも定員割れはその年だけらしく、しかも私のせいかどうか、その後は定員割れしても補充はしない方針らしいです(笑)。

そうしてやっと入った理学部天文学科でしたが、そこは精鋭の集まり。いままで以上に授業についていけず、そっと涙したこともありました。とはいえ、成績が悪くても探究心の熱量は高いままだったので、結局、大学院に進学することにしました。