東京大学大学院経済学研究科佐藤泰裕教授インタビュー

Special Interview

東京大学大学院経済学研究科・経済学部 教授 佐藤 泰裕 氏

東京大学大学院経済学研究科・経済学部 教授
佐藤 泰裕 氏

1996年 東京大学経済学部卒業。2000年 同大学大学院経済学研究科博士課程を中退し、名古屋大学情報文化学部講師に就任。02年 東京大学で博士(経済学)を取得。名古屋大学大学院環境学研究科准教授、大阪大学大学院経済学研究科准教授を経て、18年 東京大学大学院経済学研究科教授(現職)。専門分野は都市経済学および地域経済学。

世界の問題を解き明かすとき、経済学は本質を語る論拠となる

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人の価値観そのものに優劣をつけない。先入観にとらわれず純粋に行動を分析し、望ましい社会について議論する ——。学生時代、その学問はとても美しいものに感じられたという。研究者の道に進み、東京大学で教鞭をとる佐藤泰裕氏に、東京大学と経済学の魅力について語ってもらった。

予備校がない環境で通信教育中心に勉強

最初に経済学部を意識したのは、大学受験で文系か理系かを選択するタイミングです。数学が得意でしたが、理系で専門的に取り組むほどのレベルではありませんでした。経済学部は数学をちょっと使うらしいと聞いて、文系の数学なら活躍できるかと思ったんです。就職もしやすそうだなというイメージでした。

私は大分県の出身で、就職に有利に働きそうな大学というと、九州であれば九州大学、そして京都大学か東京大学という選択肢が頭に浮かびました。しかし兄が九州大学に在籍していたので、同じ大学だと一緒に住むことになり、一人暮らしができなくなってしまう。それで東大か京大にしようと考えました。高い志があったというよりは、消去法の結果、東大を目指すことにしたんです。

通っていた県立高校は学区でいちばんの進学校というわけでもなく、東大に進学するのは数年に一人程度。自宅周辺に全国展開をする予備校もなくて、独学で勉強していたんですが、全国模試を受けると教科書で習っていない範囲が出るんですよね。あれっと思って、そこで他の受験生との進み方の違いを認識しました。このままではマズイと、通信教育を受けて進度を確認し、学校とは別に自分で先取りして勉強していましたね。

高校3年生のときには、初めて東京の予備校の夏期講習に2週間参加しました。「予備校ってどんなところなのか、東京ってあなたが住めそうな場所なのかどうか、よく見ておいで」と親が送り出してくれたのです。上京すると、人の多さにまずびっくりし、さらに予備校の講義のレベルが高いのにも驚きました。まさにカルチャーショックですね。このときの経験は、後々まで心に残りました。

受験勉強を進めるにあたって、数学は問題なかったのですが、苦手だったのは歴史です。年号がなかなか覚えられなくて、漫画だったら頭に入ってくるかなと思い、学習漫画を読んでいました。その他の受験対策は、英語だけは塾に通ったものの、通信教育頼みです。でも、ありがたいことに高校の先生が応援してくださって、受験に必要な教科についてはプリントを作ってくれるなど、ずいぶんサポートしてもらいました。そして前期試験は東大、後期試験は京大に出願し、東大に合格したので京大は受けず、そのまま東大に進学することになりました。

そうして東大に通い始めたのですが、実は1、2年生の頃は授業がまったく面白くありませんでした。今思うと、それは授業に対する予備知識が自分自身になかったせいなんですが。当時の先生方は、学生が予習をしていようがいまいが関係なく、いきなり専門的な話題から講義に入るのが常でした。今もよく覚えていますが、ある日の地理学の講義で、まったく聞いたことのない種類のイモが、これまた聞いたことのない島に流れ着いたという話から始まったことがありました。これはもう、まったく意味がわからなかった。せめてイモか島かどちらかだけでも馴染みのある名前だったら、もう少し興味が持てたのかも知れませんが(笑)。

一事が万事そんな感じだったので、そのうち気が向いた講義しか出ないようになりました。図学という製図法を学ぶ授業などは、面白かった覚えがありますね。講義に出ていないときは、ずっと美術サークルに入り浸っていました。駒場キャンパスにアトリエがあり、メンバーと話しているのが楽しかったんですよね。当時の仲間たちとは、進路こそバラバラですが、今も付き合いがあります。

そんな2年間でしたが、今振り返ると、授業こそあまり出ていなかったものの、サークルの部室をはじめ、図書館もよく使っていたし、食事もほとんど学食で食べていたし、なんだかんだでずっとキャンパスで過ごしていたんだなあと懐かしく思い出します。

修士1年で論文を共同執筆 研究者への道が視野に

東大では3年生から進学選択により学部に所属することになりますが、文科二類の学生はほとんどが経済学部を選びます。私もその一人でした。教養学部時代に面白いと思った講義の中にミクロ経済学があって、それをもっと深く学びたいと思ったんです。

ミクロ経済学では、人の価値観から生まれる行動をもとに社会の仕組みを理解しようとします。最初に講義を受けたとき、冒頭で教授が「ミクロ経済学は、原則として人のPreference(好み)そのものには優劣をつけません」と断言したのが強く印象に残っています。

私はいわゆる漫画オタクだったんですが、当時はそういう人たちへの風当たりが強く、オタクが好むものは下に見られがちだったんです。でも経済学は人の好みに優劣をつけない。先入観や偏見なく行動を分析し、社会にとって何が望ましいのか議論をするための学問なのだという、大上段に構えた宣言でした。それがとても新鮮だったし、美しいと感じたんですね。

ミクロ経済学の理論は、社会で起こるさまざまな事象を説明します。人や企業が集中することには良い影響も悪い影響もあります。その良い影響を「集積の経済」、 悪い影響を「混雑の不経済」と呼びます。

高校生で初めて上京したとき、私は東京に圧倒されました。東京には映画や展覧会やイベントなど娯楽の選択肢が多いですよね。この多様性も言わば「集積の経済」で、 まさに私が「東京ってすごい!」と思ったものの正体なのです。こういう個人的な体験に繋がってくるところが、経済学の面白さだと思います。ちなみに、「混雑の不経済」の例は、満員電車や交通渋滞などです。

そんな経済学の基礎を学びつつ、就職活動を始めたのですが、事情があって故郷に帰り、活動から離れている間に就職のタイミングを逃してしまいました。それで大学院に進むことにしました。

本来、修士の初年度はコアコースとしてミクロ経済学、マクロ経済学、計量経済学を1年かけてみっちり学びます。しかし私は、ゼミの先輩からのアドバイスで、学部生のうちに前倒しでコアコースを履修していました。それで修士1年が暇になったところ、その先輩から「じゃあ論文を手伝って」と声をかけられ、共同で論文を書くことになりました。修士論文の前に、しっかりした論文を書けたのは、非常にいい経験だったと思います。「研究でご飯を食べられたら楽しいかもしれない」と感じて、研究者を目指すきっかけになりました。

そして博士課程の途中、名古屋大学が講師を公募していたので受けてみたら運よく採用され、大学を中退して名古屋大へ行くことにしました。大学院でのティーチングアシスタントで教えることに慣れていたので、ギャップもなくスッと社会人になった感覚でしたね。