文学散歩【6】図書館焼失と芥川龍之介

ラテン語が空から降ってきた

『東京大学百年史』によると、地震の揺れで薬品棚が倒壊して出火し、その火が他の建物に燃え移って被害が甚大になったと言う。「たまたま南風が烈しかったため薬物学教室の火は北側の図書館(煉瓦造二階一部四階)を襲ってその内部を焼きつくした。図書館側面の妻壁が崩壊して天井が露出していたので、火は二階からはいって全館に及んだのであった」。

東京大学が創設され、法理文三学部図書館が設置されたのが明治10年[1877]。木骨煉瓦造の旧図書館が建設されたのは明治25年[1892]である。翌年から大正2年[1913]まで学生閲覧室は卒業式場としても利用された。

50年にわたって蒐集されてきた76万冊の図書が烏有に帰した。焼かれた夥しい書籍の灰は南からの烈風によって北へ運ばれた。東大から北の方角にあたる千駄木には文科大学在学中の川端康成の下宿があった。

裏庭に逃げ出して昼飯を食っていると、汁の碗のなかへ、帝大の図書館の灰が飛んできた。大きい灰には、まだ活字が残っていた。(「文科生の頃」)

川端の下宿の北東にある日暮里の小公園には野上弥生子が3人の子供たちと避難していた。日暮里渡辺町が野上豊一郎・弥生子一家の住まいである。

渡辺町は現在で言えば西日暮里駅近く、開成学園の南西一帯の旧町名で、大正時代に渡辺銀行によって開発された高級住宅街だった。芥川龍之介、室井犀星、堀辰雄らが住んだ田端文士村の東の端にあたる。もちろん当時は開成も西日暮里駅もなかった。

開成学園は大震災後に神田淡路町から移ってきたのであり、山手線・西日暮里駅の開業は昭和46年である。

さて、野上弥生子も川端と同じようなことを書いている。

(下町の方角の)空一杯に立ち塞がっていた厖大な雲の峰とは別な黒煙を千駄木の森越しに認めた。本郷の大学が燃えているのだと云うことが分った頃には、私たちの頭の上には盛んに灰が降って来た。灰の中には多くの紙片が交って飛んで来た。よく気をつけて見るとそれは書物の燃え屑らしかった。黒く焦げてはいるけれども、或る紙片の表には明らかに古本らしい印刷の文字が読まれた。ラテン語の燃え屑を拾った人もあった。私たちは図書館が焼けつつあることをやがて知った。

「知識の宝庫が燃えている。」

少しでも書物を愛することを知っている者は、戦慄なしにはそれを見ることは出来ない筈である。(「燃える過去」)

「書物を愛する」川端にも野上にも、東大図書館の焼失はショックだった。ただ、「ラテン語の燃え屑」は少々怪しい。野上弥生子のこの日の日記には「(本所浅草方面からの)燃えた紙や灰が道灌山を越して落ちて来た」とはあるが、ラテン語本が堕ちてきたとは書いていない。道灌山とは現在開成学園がある高台のことである。「燃える過去」はこのあと、バーナード・ショオが描くアレクサンドリア図書館の焼失の場面について述べるのだが、ラテン語の燃え滓はそれにあわせた脚色なのかもしれない。

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