Special Interview
株式会社イノカ取締役COO
竹内 四季 氏
1994年生まれ。鹿児島県出身。ラ・サール学園で中学・高校時代を過ごした後、東京大学入学。同経済学部卒業。学部時代はソーシャルビジネスに関する事例研究を行う。卒業後はメガベンチャーを経て 2020年2月より株式会社イノカに参画、ビジネスサイド全般を管掌する。「環境保全×経済合理性」を掲げ、事業開発を推進中。上場企業へのコンサルティング、ウェビナー実績など多数
「ブルーエコノミーの父になる」夢は大きく、ノーベル経済学賞
経済学から社会課題にアプローチすべく東京大学で学んだ竹内四季氏。かつての同級生との再会から新しい扉が開き、環境保全×経済合理性のビジネスモデルで世界を変革する挑戦が始まった。
ソーシャルビジネスを志し東大では経済学を専攻
高校1年生の夏休みに行動経済学の新書を読み、世の中のメカニズムは経済学から見るとこんなふうに説明できるのか、と興味を持ちました。それでもっと深く学びたいと思って文系を選んだんです。どうせなら日本のトップを目指そうと、志望校は東大に決めました。
中学・高校とも鹿児島のラ・サール学園で、学校では定期テストが受験対策になっていて、学習カリキュラムも前倒しで進むなど受験環境が整っていました。学校だけでは足りないかなと不安だった現代文、世界史、数学は予備校で補強し、世界史の一問一答集はズボンのポケットに入れてボロボロになるまで何周もしたのを覚えています。特に苦手だったのは数学。過去問をたくさん解いて、問題のパターンを叩き込んで乗り越えました。
母校は伝統的に体育祭に力を入れていて、応援団に志願した3年生は夏の2カ月間、準備に忙殺されます。それがわかっていたので、受験勉強は早めに、高2の半ばから始めました。迎えた本番、当時受験したセンター試験の成績は文系では九州地区で2位でした。おかげで、心に余裕を持って2次試験に臨めました。
合格後は田舎から上京したわけですが、東大には本当にいろいろな人がいるし、留学生も多くて、一気に世界が広がった気がしたものです。1、2年のときはあまり授業に出ず、ほとんどバンドサークルでベースを弾いて過ごしました。実はそこに現在の会社代表の高倉葉太もいて、サックスを吹いていたんです。ただ、そのときは特に親しかったわけでもありませんでした。
経済学はずっと面白かったですね。経済学部に進んでからは、自分がやりたいことの軸が見えてきました。例えば発達に障がいのある人が非常に低賃金で働いていることを知って社会課題と感じ、障がい者雇用を経済学的なアプローチでもっと良いものにできないかと考え続けていました。
ちょうどその時期、障がい者雇用の事業所運営ビジネスで上場した会社を見て、「そうか、こういうことだ!」と思いました。当時の福祉業界は旧態依然とした事業者が多く、適正な競争がなかったんです。しかし、ビジネスが活性化すれば競争によりサービスの質が上がります。ちゃんとお金が回る仕組みを作ることが社会の課題解決につながるのだと思い、ソーシャルビジネスを志すようになりました。3年のときにはソーシャルビジネスに携わるIT企業の社長に頼み込んで、カバン持ちをさせてもらいながら仕事を学び、持続可能な障がい者雇用モデルについて卒論を仕上げています。
僕らの時代、大企業のブランドはまだ根強いものでした。最初は周囲と同じく、外資コンサルや金融、総合商社などへの就職を考えていましたが、軸ができてからは起業が視野に入ってきました。そうなると、事業を立ち上げるためのスキルを得られるファーストキャリアが望ましいわけです。
それで、人材系のメガベンチャーに入社しました。仕事は、大企業のOBを、顧問として中小企業に紹介するサービスです。紹介先企業のビジネス課題を洗い出し、それを解決できるような人材を選んで営業するんですが、とにかくありとあらゆる業界について勉強する機会になりました。しかも商談相手は各企業の社長であり、提案するものは国内有数の優れたビジネスモデルです。なかなか得難い体験ができました。