上野千鶴子氏インタビュー

“放し飼い”の高等教育はグローバル産業になれない

京都大学は、良くも悪くも学生の放し飼いでした。“京大は異才・奇才が育つ。東大は秀才が育つ”という言葉があったほどです。逆に言えば異才・奇才は管理して育つような人たちではありません。私の場合は、その放し飼いがポジティブに働いたと言えるでしょう。京都大学は学外教育が盛んでした。「思想の科学」の読者会や現代風俗研究会などがあり、これらの知的サロンに京都大学の先生方が関わっていました。京都市左京区にある法然院の住職が現代風俗研究会のメンバーで、法然院の講堂をお借りして活動し、私もここで春画の研究を発表させてもらいました。現・京都大学 山極壽一総長は当時理学部で霊長類研究を専攻していた大学院生で、人間と猿の共通点などを一緒に議論したものです。研究者や学生だけではなく民間人まで巻き込む、こうした知的な集いをおもしろがってくださる先生が京都大学にはたくさんいました。

また、京都という地の利も様々な面でプラスに働きました。優れた歴史的遺産を知的資源として活用できるというメリットがあります。何よりコンパクトな街なので、あっちこっちで活動している知的サロンのメンバー間で異文化交流がしやすいのです。東京に来て感じる京都との違いは、東京にはどのような業界にもスペシャリストたちが一定数いるのですが、そのために専門分化が進み、縄張りを作り上げてしまっているように感じます。異なる分野の人たちとの対話により、理解を深めたり、新たなアイデアが生まれ育ったりしますから、京都で異文化交流のしやすい環境に恵まれて、とてもよかったと思います。

このように、私の大学時代はもっぱら学外活動に精を出していたわけですが、“放し飼い”の教育法が通用する時代は、もう終わりました。私が研究のノウハウや教育のプログラムを学んだのは、30代前半にアメリカ留学したときです。留学中の2年間でわかったのは、アメリカの高等教育はグローバル産業として成り立っているということ。教育を受ける学生たちに対し、大学は授業料に見合った付加価値をつけています。米アイビーリーグの学生と東大生を比較しても、入学の時点で“素材”としてアイビーリーグの学生が特別優れているわけではありません。ところが、大学生活の4年間で費やす勉強量の多さは、日本の大学の比ではない。膨大な宿題や予習・復習。これに加えて毎週のレポート課題。教授も大変なエネルギーを使ってレポートの添削を返します。アメリカの大学の学生たちに、アルバイトをしている暇なんてありません。成績が悪ければ容赦なく落とされます。そのため卒業に至るまでの「生存率」という言葉さえあるくらいです。毎日、夜中12時まで開館している図書館で根を詰めて勉強しなければ進級に響き、奨学金が継続できないリスクにさらされます。日々、繰り広げられる必死の生存競争を目の当たりにしたときにつくづく思いました。「自分は、何も教育されてこなかったのだ」と。私の場合、もし仮に教師から「これをやりなさい」と管理されていたら、もっと早くに大学を辞めていたでしょう。しかし、いま高等教育のグローバルランキングのトップに位置しているのはアメリカの大学です。単に英語帝国主義のせいだけではなく、アメリカの大学は、世界中から集まった学生たちに、恵まれた知的資源・物的環境を与え、どのような“素材”の学生にも教育付加価値をつけて送り出しています。そしてそうやって育てた学生を出自にかかわらず社会に組み込んで、成長の活力にしています。一方、日本の大学には高等教育のノウハウがありません。東京大学や京都大学の卒業生が優秀なのは、大学の教育がよいからではなく、もともと優れた素材が集まってくるからです。この人たちは放っておいても成長したでしょう。このままでは日本の高等教育はアメリカの大学に、いつまで経っても太刀打ちできないでしょう。