鈴鹿可奈子氏インタビュー

Special Interview

株式会社聖護院八ッ橋総本店 専務取締役 鈴鹿可奈子氏

株式会社聖護院八ッ橋総本店
専務取締役
鈴鹿 可奈子 氏

京都市生まれ。京都大学経済学部経済学科在学中に、カリフォルニア大学サンディエゴ校エクステンションにてPreMBA取得。卒業後、信用調査会社勤務を経て、2006年聖護院八ッ橋総本店に入社し、2011年に新ブランド「nikiniki(ニキニキ)」を立ち上げる。現在、専務取締役。

小学生の頃からあこがれだった大学に進み3回生後期からアメリカに留学しPreMBAコースで学ぶ。京都の老舗和菓子屋の跡継ぎが過ごした京都大学での4年間。

この大学、とっても楽しそう

京都大学を選んだ理由は、いちばん身近にある大学だったから。こんなふうに言うと、これを読む皆さんから怒られるかもしれません。けれども本当に、家からいちばん近くにある大学が京都大学だったのです。小学生の頃から毎日のようにカラフルな“立て看”を目にしていて、なんだかすごく楽しそうなところだなと思っていました。それで京都大学がどういう大学なのかもよくわからないまま、この大学に行くんだと勝手に決めていたのです。

改めて京都大学を目指そうと考えたのは、中学1年のときでした。私は内部進学で大学まで行ける同志社中学校に進みましたが、小学生の頃から通っていた中学受験の塾の友だちのほとんどは進学校へ。今から思えば、友だちは医者になるなど進路について決めている人が多く、その頃から京都大学も意識していたようです。自然と自分も将来について考えるようになり、幼いころから漠然と、いずれは家業を継ぐんだろうなとは思っていましたが、自分ではっきりと決めたのもこの頃でした。両親からは「跡を継ぐように」と強制されたこともなければ、「継いでほしい」と言われたこともなかったのですが、自分から八ッ橋屋さんになりたいと話しました。その頃には、京都大学の経済学部に進むイメージができていました。

そのために、中学入学後に大阪の進学塾に通うようになりました。ところが、その塾は数学の進み方がケタ違いに早い。中1の最初の段階で「みんな、因数分解はわかってるよね」みたいな感じ。同じ中高一貫校とはいえ、大学までエスカレーター式に上がれる同志社とトップ進学校では、授業の進み方がまったく違う。そのため私だけ特別に、塾の先生に数学を教えてもらったりしていました。

ただ、高校に進み大学受験が近づいてくるとかなり苦労しました。同志社高校では大学受験をする人が少なく、大多数が同志社大学に進みます。センター試験の科目も授業にありますが、自分で勉強しなければならないことも多くありました。センター試験対策は、予備校の夏期講習などに通って勉強していました。

年が明けてセンター試験直前ぐらいの時期になると、既に内部進学が決まっているクラスのみんなは「卒業旅行、どこに行く?」なんて話をしている。ちょっと浮かれた雰囲気の中でただ一人、受験へのモチベーションを保つのは、簡単ではありませんでした。学校の図書館や自宅では集中できなくて予備校の自習室をよく利用していました。京都大学に落ちたら浪人する覚悟で勉強していました。