Special Interview
京都大学大学院経済学研究科 副研究科長
依田 高典 教授
1965年生まれ。1995年京都大学大学院経済学研究科修了。経済学博士。専門は人間の経済心理に着目しつつ、意思決定を分析する行動経済学。生活の中で仮説検証を行う「フィールド社会実験」の手法でさまざまな計測を行う。著書に『行動経済学 —— 感情に揺れる経済心理』(中公新書)
伝統的な経済学に人間の心理を取り入れた「行動経済学」が今、注目されている。
「たばこ税を上げると税収は上がるのか?」
「電力料金が上がると人は節電するのか?」
社会の課題に行動経済学の視点から取り組み、ユニークな成果を発表している京都大学経済学部の依田高典教授に、自身の経済学との出会い、研究への心構え、学生に望むことを聞いてみた。
量子力学における「不確定性」のように、ケインズの「不確実性」を知りたかった
学生時代のこと単位欲しさに手に取った本、『ケインズ』が人生を変えた
—— 京都大学入学当初は就職志望、しかも「授業には出ない」と決めていた依田教授。そんな依田教授が真剣に経済学を志すようになるまでの過程には、依田教授自身の強い意志と好奇心、それをのびのび育てる京都大学ならではの教授陣の存在があった。
受験生だったのはバブルの頃で、自分も普通に大学に行って、銀行員にでもなるんだろうなと思っていました。経済学部を選んだのは、歴史や文学じゃ食えないと思っていたから。京都が好きだったのと、もともと何かにつけて「アンチ」な人間ということもあって、最初から東大ではなく京大に行こうと決めていました。
大学に入ってからも、大教室の授業には意志をもって出席しないと決めていたんです。「大切なのは自学自習だ!」と考えていたんですね。今となってはそれが正しかったとは思いませんが、そういう学生が多かったのも当時の京大でした。しかし、卒業はしたいから単位は必要。全く出席していなかった1年生の経済学の講義でしたが、単位を取るためにはレポートを書く必要があり、書店で経済学の本を探すことになりました。
マルクスやマックスウェーバーの本が並ぶなか、ふと手に取ったのが、伊東光晴という人が書いた『ケインズ』という新書。表紙をめくったところにあるケインズの顔写真の不敵な笑みに「イヤな顔やなあ」と思いましたが、もう1ページめくると、そこにケインズの奥さんだったロシア人のバレリーナ、リディア・ロポコヴァの写真が載っていて、それがとても美しかったのでその本を買ったのです。ええ、本当にそれが理由です(笑)。
ところが読んでみるとこれが非常に面白かった。ケインズという人は、経済学の考え方に「不確実性」という概念を取り入れた人です。似たような言葉に「リスク」がありますが、リスクとは、確率的で予測できるようなこと。これに対し不確実性とは、たとえば東日本大震災級の災害がいつ起こるかというような、確率論的に定義できない、何が起こるのかさえ予測できないようなことを指します。
こうした不確実性への恐れが、投資を停滞させ、有効需要を停滞させ、長期停滞としての大恐慌につながる —— ケインズは、こうしたことを論理的に打ち立て、これを変えるための「大きな政府」の必要性を説きました。不確実性が人々の行動を決めるということ、経済学とは社会改革の学問だということに当時の僕は大きな感銘を受けたんです。
著者プロフィールを見ると、伊東光晴先生は当時千葉大学教授。ところが、2年生になってゼミを選ぶ段になって、なんと先生が今は京都大学にいるということを知ったのです。迷わずそのゼミを選び、3年生、4年生ではケインズ経済学を通じて不確実性の経済学を学びました。
ひねくれ者だった自分は、先生に刃向かって反対意見をぶつけるようなことをするばかり。しかし先生もそれを気に入ってくれて、独特の講談師みたいな口調で「依田君!依田君はどう思うかね!」と指名してくれたりする。そんなやり取りを繰り返すうち、いつのまにか「学問」に興味が湧いていました。
とはいえ、当時は「世の中の役に立つなんてことは俗だ」と思っていて、実学的な学問をやりたいなんて思いませんでした。ケインズの時代、物理学では、それまでとは全く違う分野として量子力学が確立された頃。量子力学における「不確定性」のように、経済学の「不確実性」を解明したいと考えていたのです。
伊東先生が退官されるタイミングだったので、大学院での指導教授は別の先生を見つける必要があったのですが、「この先生のところに行こうと思う」と報告するたびに伊東先生は、「もうちょっと先生を選んだほうがいい」と言う。しまいに先輩から「伊東先生は、君に西村周三先生のところに行ってほしいんだよ」とアドバイスされ —— 正直、指導教授なんて誰でもいいと思っていたのですが、「西村先生のところに行こうと思う」と伝えると「依田君がそこまで言うなら!」と話を通してくれたんです(笑)。
今思えば、僕のような人間は早い段階で先生と衝突して大学を去ることになるのではないかと心配して、最もそうならずに済みそうな先生を考えてくれたんでしょうね。
こうして西村先生の研究室に入り、真っ先に「不確実性の研究をしたい。量子力学みたいな革命的なことをやりたい」と伝えたところ、西村先生が本棚から取り出してきたのが経済心理学の雑誌。
伝統的な経済学では、人間を常に合理的で正しい判断をする「ホモ・エコノミカス」だと仮定したうえで市場の動きを考えますが、実際の人間はといえば、間違いばかりで感情に流されやすく後悔にゆらいでばかり(笑)。「そうした人間の間違いがなぜ生まれるのかということがライフテーマだ」と語る西村先生と、経済心理学、今でいう行動経済学に取り組んだことが、今日まで続く自分の専門になりました。
しかし、目標だった「不確実性」の解明はとても難しかった。主流派経済学の理論問題点を、「ここに人間の心理が取り入れられていない」と指摘することはできても、不確実性そのものを分析することは叶わなかったのです。