山本典正氏インタビュー

老舗企業でモノづくりを追求 開発した商品が次々ヒット

東京の最先端の企業から、和歌山の伝統産業の老舗企業へ。その変化に戸惑うことはたくさんありました。

働いてすぐ、「この酒蔵でこの先もやっていけるだろうか」と疑問を感じることになりました。商品であるお酒の生産についてのことです。当時うちの酒蔵は、ほぼパック酒だけを生産していました。パック酒は、日常的に飲む安いお酒。つまり「99%コスト勝負のもの」です。従業員たちも「安く大量につくる」というスタンスで働いていました。私の父も、どちらかというとコストをかけずに働いてもらう、人件費は「削るもの」という意識が強かったように思います。

私は人材系の会社で働いていたこともあって、社員一人ひとりにモチベーション高く働いてもらいたいと思いました。それと同時に、20、30年先のことを考えたら、いい日本酒をつくって、いいお酒を飲みたい人に届けることを考えなければいけないとも。そこで、商品改革と組織改革に取り組んだのです。

そうして、パック酒ではない新たなお酒を開発し、発売しました。最初に発売したのは梅酒です。平和酒造のある和歌山は梅の有名な産地。それを使った梅酒「鶴梅」を2005年に発売すると、ヒット商品に育ってくれました。続いて日本酒では、2008年に「紀土(KID)」を発売。有名な賞をいくつも受賞するなど、好評をいただいています。両商品とも、ANA(全日空)に採用されています。薄利多売のモデルから、高品質なものづくりモデルへと転換したのです。

また、季節雇用の従業員たちに頼っていた酒づくりをやめ、酒蔵としてはめずらしく大学・大学院の新卒採用を行い、正規雇用にしました。ものづくりへの情熱がある人を採用することで、会社全体の雰囲気が変わることを意図してのものです。同時に、社員教育にも力を入れるようにしました。いまでは、東北での酒造り研修や毎日の利き酒トレーニング、コミュニケーション研修などもおこなっています。意欲ある人材が集まり、学び、ものづくりを追求することが大事だと思っています。

そして、そうした企業風土であり続けるためには、リーダー自らが学び続けることも大事です。そんな思いから、2017年に京都大学経営管理大学院(MBAコース)に通い、昨年修了しました。

再び京都大学に通ってみて強く感じたのは、キャンパスが国際化したことです。私が大学生だった20年前は、外国人学生は10人に1人もいなかった気がしますが、今は3~4割の印象です。「世界は小さくなっているんだな」「インターカルチャーが進んでいるな」と実感しました。それを見て、あらためて日本酒の海外輸出をしたいと強く意識するようになりました。さらに、英語を学ぼうという気持ちにもなりました。それまでは、たとえばGoogle翻訳のような優秀な翻訳技術があれば、多くの時間を使ってまで英語力を身につける必要はないと思っていました。しかし京都大学のインターカルチャー化の現実を見て、やはり英語を学ばなければいけないと実感したのです。その渦の中に飛び込まないと、自分自身に本当に必要なことはわからないですね。

京都大学という大学は、日本社会のものすごく先端を走っている大学です。二度の入学経験で、よりそれを感じました。若い大学生のときに先端の環境で学べるというのは、後の人生にすごく生きてくるんじゃないかなとあらためて思いました。それに、MBAに通うことを私にすすめてくれたのは、学生時代のゼミの恩師でした。将来につながる人との出会いも、すごく貴重なものだと感じます。

平和酒造でつくられている商品「紀土(KID)」シリーズ