京大花山天文台レポート

天文と花山天皇の退位の関係

午後0時50分に地下鉄東西線の御陵駅に集合したのは自分を含めた十数名のツアー参加者と、歴史ガイドの梅本万視(まみ)さん、「天文博士」の青木成一郎(博士(理学)・京都大学 天文普及プロジェクト室 室長)先生だ。御陵駅から出発して歩いて花山天文台に向かう。その道中には歴史の話がちりばめられていた。

元慶寺

元慶寺

花山天皇 [1] が出家をした元慶寺に立ち寄った。「藤原兼家 [2] が懐仁親王(後の一条天皇)を天皇にするため策略をめぐらし、花山天皇が欺かれここで出家をしたと伝えられています。」歴史ガイドの梅本さんはおっしゃった。

一見、天文とは関係なさそうなこの出来事も実は天文学の視点からも見ることができるとのお話があった。

簡単にまとめると、花山天皇が出家をした日は、月が星団すばるを隠す「すばる食」が起こっていた。このような星の異常な動きを天変と呼び、その時の政変や世の中の乱れの予兆として扱われていた。当時の天文博士・安倍晴明 [3] はこの天変を花山天皇へ報告する義務があったが、報告前に天変が示唆する通りに天皇が退位してしまったそうだ。

花山天皇の出家・退位が藤原兼家の画策であるとすると、天変を藤原兼家に教えたのは安倍晴明と考えられる。安倍晴明は、「すばる食」が18年周期で巡ることは知っているはずなので、藤原氏と裏で取引があったのではないかと推測できる、という。また、実際にこの出来事以降、安倍晴明が歴史の表舞台にあらわれてくるそうだ。

私はこのお話を聞き、当時から星の動きを観測する習慣があったということ、さらに歴史を天文学的視点で読み解くことでさらに深い知見が得られるということに非常に感慨を覚えた。こういったことは教科書には書いていないから面白い。国語の古典にある「大鏡」と地学の天文学の間の意外なつながりを知ることができた。歴史と天文学とのつながりを垣間見ながら元慶寺を後にした。

人物注
  1. 花山天皇 …… 19歳で出家し退位した。この事件と天変の関係については、「帝おりさせたまふと見ゆる天変ありつるが、すでになりにけりと見ゆるかな」と「大鏡」に記述がある。
  2. 藤原兼家 …… 策略によって花山天皇を退位させて、娘が生んだ一条天皇を即位させたといわれる。一条天皇の摂政となり権力を握った。
  3. 安倍晴明 …… 陰陽寮の天文博士の地位にあり、天変を天皇に報告する役目があった。陰陽道に通じていたことでも有名。