第15話 公立医学校廃止の諸相(4)~北海道と沖縄の医学校~

それでも廃止せざるを得なかった「医師法」の成立

これだけ沖縄県の医師養成に貢献してきた「医生教習所」は明治45年[1912年]に第23期の卒業生を出して廃校となった。廃止の理由は明解である。明治39年[1906年]に成立した「医師法」によって「医術開業試験」が廃止されることになったからである。今後、医師免許を取得できるのは、

① 帝国大学、官立公立の医学専門学校、文部大臣の指定した私立医学専門学校の卒業者

②「医師試験」の合格者

③ 外国の医学校を卒業して外国において医師免許を取得した者

のいずれかに限定されることになった。②の条項があるから今までのような「試験合格」もあるように思われるが、この新しい「医師試験」の受験者資格は①にあげた学校以外の「専門学校」の卒業者に限られている。「専門学校」としては認可はされたが、「医学専門学校」としては不足の点があるので文部大臣の指定は得られない、そうした学校である。いずれにしも「医生教習所」のような学校出身者は新しい「医師試験」は受験できない。

現行の「医術開業試験」は法案成立から8年後(大正3年[1914年])に廃止されることになった(のち法改正により、実際に廃止されたのは大正5年[1916年])。「医術開業試験」に合格させるための学校(いわば資格試験予備校)は、「専門学校」になるか、「廃校」するかの選択を迫られることになった。「専門学校」への道を選んだのが、熊本医学校、東京慈恵医院医学校など、廃校したのが、最大の私立医学校・済生学舎、岩手医学校であり、沖縄の「医生教習所」であった。

(第15話おわり)

執筆者 坂口 幸世
(代々木ゼミナール主幹研究員)