第11話 公立医学校と鷗外の『雁』〜「明治十三年の出来事」の意味〜

本話は「東大研究室」の「東大をもっと知るための文学散歩」の【1】「鉄門と森鷗外『雁』」を大幅に加筆したものである。拠所ない事情で「文学散歩」の更新ができなくなったため、この「医学部誕生物語」の一話として掲載するものである。ここに掲載するのは、森鷗外『雁』の女主人公「お玉」の運命が、公立医学校の興隆と深い係わりがあるからである。

ふたつの東京大学

参謀本部陸軍測量部が明治9年から17年にかけて行った測量によって作成された『五千分一東京図測量原図』には二つの「東京大学」が記されている。ひとつは神田錦町で、現在で言えば共立女子大学の高層校舎の向かいにある学士会館から南、日本橋川までにかけてのエリア。もうひとつは現在の東大本郷キャンパスであり、こちらは「東京大学醫学部」とある。

東京大学は明治10年、東京開成学校と東京医学校が合併して成立した。東京開成学校は神田錦町にあり東京大学の法・理・文3学部となったが、本郷への移転は明治17年まで待たねばならない。東京医学校はもともとあった下谷和泉町から合併の前年に本郷に移転していた。陸軍測量部の地図はこうした東京大学の成立の過渡的状況を空間で表していることになる。

森鷗外の『雁』はそんな時代の話だ。「明治十三年の出来事」として語り始められるのは、高利貸しの囲い者となっているお玉が、東大医学部生の岡田に憧れるが、結局は淡い期待で終わる話で、その顛末を岡田と同じ医学部生の「僕」が語る。東大医学部生と高利貸しの妾との繋がりとは、語り手側からすれば、「僕」や岡田が「東京大学の鉄門の真向かいにあった、上條と云う下宿屋」にいたこと、岡田の日課の散歩コースがその鉄門から右に伸びる道の先にある無縁坂を通ること、お玉の住む妾宅はその無縁坂の途中にあること、という地理的空間的な「縁」でしかない。「明治十三年の出来事」とは、異なる世界のすれ違いに起きた小波のような事件であると、とりあえずは言える。

『五千分一東京図測量原図』の「本郷元富士町近傍」を見ると、東大医学部の本館の南に門が描かれていて、その向かいには確かに下宿屋と見える、やや大きめの家屋がある。門(鉄門)と下宿屋(上條)の間の道を東へ辿れば下り坂が始まる。これが無縁坂である。文芸評論家の前田愛は、「地図の宝石とでも呼びたい」この地図を参照して、こう述べる。

無縁坂の北側には都合九軒の民家があり、(中略)ルーペで覗きこむと、この九軒の民家が『雁』の描写とおりにそれぞれの表情をもって浮きあがってくるように錯覚される。「格子戸を綺麗に拭き入れ」たお玉の家は、坂の上からかぞえて三軒目の家屋が宛てられるかもしれない。(『幻景の街』)