第11話 公立医学校と鷗外の『雁』〜「明治十三年の出来事」の意味〜

無縁坂という近代の狭間

お玉の淡い期待を裏切らせる偶然として、「鯖の味噌煮」とか「雁鍋」とかの小道具が語られるはする。つまり、末造が千葉へ泊りがけの出張に行った晩、お玉は下女を実家に行かせておいて、岡田を家に引き込もうと計画する。しかしいつもなら一人で散歩する岡田はその日は「僕」と連れ立っていた。下宿で出された夕飯の「鯖の味噌煮」が嫌いで食べられない「僕」が、散歩と外食に岡田を誘ったのである。

無縁坂を降りかかる時、僕は「おい、いるぜ」と云って、肘で岡田をついた。「何が」と口には言ったが、岡田は僕の詞(ことば)の意味を解していたので、左側の格子戸のある家を見た。家の前にはお玉が立っていた。お玉はやつれていても美しい女であった。しかし若い健康な美人の常として、粧映(つくりばえ)もした。僕の目には、いつも見た時と、どこがどう変っているか、わからなかったが、とにかくいつもとまるで違った美しさであった。女の顔が照り赫(かがや)いているようなので、僕は一種のまぶしさを感じた。お玉の目はうっとりとしたように、岡田の顔に注がれていた。岡田は慌てたように帽を取って礼をして、無意識に足のはこびを早めた。僕は第三者にありがちな無遠慮を以て、度々うしろを振り向いて見たが、お玉の注視はすこぶる長く継続せられていた。(『雁』弐拾弐)

散歩の途中、不忍池で雁を捕らえて「雁鍋」を食べようということになる。石原とういう学生が加わって、岡田の外套の下に死んだ雁を隠しながら再び無縁坂を、今度は三人で通る。

女は自分の家よりは二三軒先へ出迎えていた。僕は石原の目をかすめるように、女の顔と岡田の顔とを見較べた。いつも薄紅に匂っている岡田の顔は、確かにひとしお赤く染まった。そして彼は偶然帽を動かすらしくよそおって、帽の庇に手を掛けた。女の顔は石のように凝っていた。そして美しくみはった目の底には、無限の残り惜しさが含まれているようであった。(『雁』弐拾肆)

こうしてお玉は「鯖の味噌煮」と「雁鍋」に妨げられて、岡田と夜を過ごすことはできなかった。しかし実際は、お玉が岡田への接触を企図した時点で岡田はすでに洋行することを決めていた。「僕」に散歩に誘われたとき岡田は「行こう。丁度君に話したい事もあるのだ」と言って下宿を出たのだった。その「話したい事」とは岡田の洋行話であり、相談ではなく、すでに決断されたことの報告なのであった。ライプチヒ大学のW教授が、ドイツ語が話せ漢文が読める学生を高額の報酬で助手として雇いたい。ベルツ教授の紹介で岡田がそれに応ずることになり、すでにパスポートも取得し、大学に退学届けも出し、出発は明日という話である。

だからもともと岡田は白馬の王子にはなりえないし、なるつもりもない。「彼女の力になって遣る。彼女を淤泥のうちから救抜する」こともしない。

どこかで通底していた二つの世界は再び乖離していく。こんなすれ違いの場が無縁坂(「縁」がない坂)なのだった。

坂の上には東京大学医学部がある。坂の途中のお玉の家の向かいには三菱財閥の岩崎邸がある。坂を下りたところには「東京日日新聞」主筆である福地桜痴の池之端御殿がある。学術と経済とジャーナリズムという近代の象徴に三方を囲まれた無縁坂とは、近代という時代に乗れない人々、近代化とは無縁の者…お玉のような「日陰者」や、加賀前田家に奉公し、今は仕立物と裁縫教授で生活していて、御家流書道もする「お貞」という女性…の住むところだった。