文学散歩【8】太宰治、仏文黄金期のはぐれ者(その1)

安田講堂とウチダゴシック

すぐに銀杏の並木がある。右側に十本、左側にも十本、いずれも巨木である。葉の繁るころ、この路はうすぐらく、地下道のようである。いまは一枚の葉もない。並木路のつきるところ、正面に赤い化粧煉瓦の大建築物。これは講堂である。われはこの内部を入学式のとき、ただいちど見た。寺院の如き印象を受けた。

正門から安田講堂手前までの銀杏は現在でも左右各10本である。安田講堂の設立の経緯については前回述べた。太宰の学生時代には、関東大震災からの復興がほぼ完了し、本郷キャンパスは「ウチダゴシック」と言われる新しい建築群が並んでいた。その中で「赤い化粧煉瓦の大建築物」は他の建物とは違う色で目立っていただろう。

「ウチダゴシック」とは、内田祥三がキャンパス復興にあたって採用した統一的デザインを後年そう呼んだもので、尖頭アーチ、控壁などの特徴に加えて、スクラッチタイルが張られているのが特徴。スクラッチタイルは表面にヒッカいたような縦線模様があるもので、大正末から昭和初期に大流行した外装材。「このタイルを使用した建物は戦前期、それも昭和初期の建築と考えてよい」(内田青蔵『学び舎拝見』)そうだ。

ちなみに、スクラッチタイルの校舎は東京では、一橋大学、東京海洋大学(越中島)、早稲田大学、慶応義塾大学、学習院大学、拓殖大学などでも見ることができる。東大本郷キャンパス同様、すべて関東大震災後の建築物である。このスクラッチタイルは大震災からの復興の象徴として受け入れられたと言える。