文学散歩【5】地震学者大森博士と谷崎潤一郎

谷崎潤一郎の大地震“予知”

大森の考え方は「東京の如き地震多き地方につきて今後四五十年間に大震あるべしとするが如きは何人も言いうる所で、もとより予言と称すべきことではありません」(大森房吉『地震学講話』)というもので、過去の大地震の発生間隔の平均を根拠にして地震予知をするなどはとても学問とは言い難いということだ。

確かに「何人も言いうる所」なのだろう。地震嫌いで有名な谷崎潤一郎の「続悪魔」(大正2年)にはこんな場面がある。主人公の佐伯は岡山の第六高等学校を卒業して東京帝国大学に進学し、本郷の叔母の家の二階に居候している。その「叔母がある晩、安政の地震の話をして、もう近いうちに、再び大地震の起こる時分だと、仔細らしく予言した」。

短編「病蓐の幻想」(大正5年)では、安政の大地震(1855年)を実際に体験した「老婆」が、「今年あたりはそろそろ大地震がありゃしないかね。安政の地震があってからもう随分になるのだから。」[ラビリンスⅦ.25]と“予言”する。この「老婆」は谷崎の祖母をモデルにしたようだ。娘時代の彼女は倒壊した家屋から這い出して命拾いした経験の持ち主だった。

地震の不安を抱けば専門家による予知に期待するのが人の性。「続悪魔」の佐伯はすっかり地震恐怖症になり、従妹の照子の大柄な体が階段を上る振動にも怯えてしまう。そこで、「一体地震と云うものは、ほぼ何年目頃に起こるのだろう」と思って大学の図書館で地震関連の図書を「山のように」借りてきて読んだが不得要領だった。

「何でも大森博士の説によると、大地震はいつどこに生ずるかの予め知る事が出来ない。古来東京には数回の大地震があったが、将来も必ずあるとは明言されぬ。必ずないとも明言されぬ。甚(はなは)だ曖昧である」と、おそらく先に引用した『地震学講話』の感想を述べる。

そして「どうも佐伯には、大森博士がうすうす大地震の起こる時期を知っていながら、それを隠しているような気がしてならなかった。博士のことだから、大体の見当は付いていても、何日の何時何分という明瞭な予測が出来ないため、乃至(ないし)いまだ根拠ある科学的説明が出来ないため、徒(いたずら)に天下の人心を騒がす事を憂えて発表を遠慮しているのではあるまいか」と考える。

「大体の見当」がどの程度を指すかにもよるが、この佐伯の妄想はまんざら的外れだったというわけでもなさそうだ。上山明博著『関東大震災を予知した二人の男』(産經新聞出版。2013年)によると、大森は大地震の到来についてある程度の予見はしていて、震源は相模湾だろうと考えていた。しかし社会への影響を考えて予知に類することは控え、また不用意にも「予知」をしたことになってしまった今村明恒の所説を徹底的に批判したのだそうだ。