高橋良和准教授インタビュー

Special Interview

京都大学工学部地球工学科 高橋良和 准教授

京都大学工学部地球工学科
高橋 良和 准教授

1970年生まれ。京都大学工学部卒業。工学博士。耐震工学を専門に、京都大学工学部助手、京都大学防災研究所准教授を経て現職に。土木構造物の合理的な耐震設計法を確立することを目的に、特に橋梁構造物の耐震安全性に関する研究を行っている。

「耐震工学」のエキスパートとして日々、研究に邁進する一方、「土木」の魅力を広く一般にも伝えるべくさまざまな活動に取り組んでいるのが、京都大学工学部地球工学科の高橋良和准教授だ。その学生時代から現在の研究、そして学内に留まらない活躍ぶりまで、詳しく話を伺ってきた。

阪神・淡路大震災を実体験した“最後の世代”という使命感に駆られて

学生時代のことよりよい社会を創る「地球工学」の魅力に気付いたのは大学進学後

—— 現在、地球工学科で教鞭を取る高橋准教授だが、最初は土木分野の研究者を目指していたわけではなかった。耐震工学を専門とする高橋准教授が、「土木」と出会い、今に至ったのはどんな経緯なのだろうか。

日常生活の中で「土木」という言葉を聞く機会はあまりないかもしれません。けれども、現代社会では蛇口をひねればきれいな水がすぐに飲めますし、鉄道や道路でスムーズに移動ができます。こうした社会インフラはすべて「土木」によって成り立っているものです。

「土木」はいわゆる実学であり、ここでの研究は、研究のための研究ではなく、社会に適応し、よりよい未来を形作るために行われています。これは工学全般に言えることですが、「こうあるべき」という哲学は持っているけれど、それを実現可能な形で社会に適応させていかないと意味がありません。そうしたところが理学とは異なる点でしょう。

とはいえ、高校時代の私は、そんなことを理解して工学部土木工学科(現在の地球工学科)に進んだわけではありません。もともと地震について学びたいという気持ちがあったのですが、どの分野で学ぶかは決めていませんでした。なので、京都大学を受験するにあたっては、理学部と工学部のどちらにするかで悩みました。

何故、工学部に入学したかというと、それはいたって単純な理由で、当時、工学部の入試には苦手な国語がなかったからなんです。また、地震について学ぶとなれば建築学科という選択肢もありましたが、「どうせやるなら、大きなことをやりたい」という思いから、土木工学科への道を選択しました。大学時代から主に「橋」を中心とした耐震工学について学び、耐震工学研究室に所属して研究を行っていました。そして、修士課程1回生の冬、阪神・淡路大震災に遭遇したのです。

修士1回生時に撮影した
阪神・淡路大震災の被害

阪神・淡路大震災以前、日本の耐震技術は世界屈指の優秀さを誇ると言われていました。阪神・淡路大震災の前年、実はアメリカのノースリッジでやはり大規模な震災が起きているのですが、このときも日本国内では「日本では同様の地震があっても甚大な被害はないだろう」というような雰囲気があったんです。

ところが1年後、阪神・淡路大震災で兵庫の街が壊滅的な被害を受けてしまいました。そのとき、私自身はまだ学生だったので社会的責任を感じることはありませんでしたが、純粋に疑問に思ったんです。今まで信じてきた耐震技術は、一体、何だったのかと。

震災直後、指導教授から「現地の被災状況を見てこい」と言われ、私はすぐに現地調査に入りました。もしこれが学部4回生あるいは修士2回生の時に起きたのであれば、ちょうど卒業論文提出のタイミングと重なってしまい、現地調査など叶わなかったでしょう。

奇しくも私は、研究者としての耐震工学の知見を持ったうえで阪神・淡路大震災の被災状況を実際に見ることのできた “最後の世代” となったわけです。いろいろな偶然から、まるで運命に定められたかのようにあの震災を身を以て体験したことが、現在、私の仕事の使命感にもつながっているのです。