文学散歩【1】「鉄門」と森鷗外『雁』

参謀本部陸軍測量部が明治9年から17年にかけて行った測量によって作成された『五千分一東京図測量原図』には2つの「東京大学」が記されている。ひとつは神田錦町で、現在で言えば共立女子大学の高層校舎の向かいにある学士会館から南、日本橋川までにかけてのエリア。もうひとつは現在の東大本郷キャンパスであり、こちらは「東京大学医学部」とある。

東京大学は明治10年、東京開成学校と東京医学校が合併して成立した。前者は神田錦町にあり東京大学の法・理・文3学部となったが、本郷への移転は明治17年まで待たねばならない。東京医学校はもともとあった神田和泉町から合併の前年に本郷に移転していた。陸軍測量部の地図はこうした東京大学の成立の過渡的状況を空間で表していることになる。

森鷗外の『雁』はそんな時代の話だ。「明治十三年の出来事」として語り始められるのは、高利貸しの囲い者となっているお玉が、その苦界から救い出してくれる望みを東大医学部生の岡田にかけるのだが、その願いは結局淡い期待で終わる話で、その顛末を岡田と同じ医学部生の「僕」が語る。東大医学部生と高利貸しの妾との繋がりとは、語り手側からすれば、「僕」や岡田が「東京大学の鉄門の真向かいにあった、上條と云う下宿屋」にいたこと、岡田の日課の散歩コースがその鉄門から右に伸びる道の先にある無縁坂を通ること、お玉の住む妾宅はその無縁坂の途中にあること、という地理的空間的な「縁」でしかない。

お玉の淡い期待を裏切らせる偶然として、「鯖の味噌煮」とか雁鍋とかの小道具が語られはするが、実際はお玉が岡田への接触を企図した時点で岡田はすでに洋行することを決めていたのだからもともと白馬の王子にはなりえないし、なるつもりもない。こんなすれ違いの場として無縁坂(「縁」がない坂)はある。

坂の上には東京大学医学部がある。坂の途中の向かいには岩崎邸がある。坂を下りたところには福地桜痴の池之端御殿。学術と経済とジャーナリズムという近代の象徴に三方を囲まれた無縁坂とは、近代という時代に乗れない人々、近代とは無縁の者…お玉のような「日陰者」や、加賀屋敷の奉公で習得した裁縫を教えて暮らす女性…の住むところだ。

ところで、「鉄門」は当時は東京大学の正門だった。医学部本館を真正面に見る位置に設けられた。やがて法・理・文3学部が移転してきて本郷通り沿いに新しい門ができると鉄門は「正門」の地位を奪われ、更に鉄門の向かいの土地も東京大学が校地として取得したため門そのものも廃されてしまった。それが東京大学医学部創立150周年を記念して復元された。ただし門脇の案内板にあるごとく、復元位置は当時とは違っている。本来の鉄門の地も「上條と云う下宿屋」の地も東京大学の敷地内に呑み込まれたままだ。